『孫策が死ぬことなく』、無事に建業を占領した後、は軍師や文官達とせっせと融和政策を行っていた。
「お兄さん、今日は随分と顔色が良いですねー」
「書類の山地獄から少し解放されたからじゃないかなー」
風の頭の上に載っている人形を突きつつ、はため息を吐いた。
怒涛の日々がひと段落したおかげで、一時的に鍋底に落ち込んでいた体調もなんとか復調してきていた。もう少しで寝台の上に括り付けられそうになった事実は忘れたい。
美人の覇王様や側近達にキツイ視線を向けられるのは、彼としても勘弁してほしいのだ。
「だいぶ元気になってきたみたいね。これなら問題ないかしら」
「はっ。何かあれば、我らで担いででも」
久しぶりの休日に畳の上でゴロゴロしながら、次の新作は何にしようと考えていた青年の前で仁王立ちした覇王様とその部下の間で不穏な会話が交わされている。
「……俺に拒否権など存在しないか」
「来ないの?久しぶりに都に戻るのに」
「是非とも、お供させていただきます」
行き先を聞いて、はさらっと掌を返す。
久しぶりに戻るとなれば、やりたい事や確認したいことは山ほどある。
「することがあるなら、早めにまとめておきなさい」
「留守番組と会うのも久しぶりだからな。そうと決まれば、早めにお土産を考えよう」
南国の特産品を思い浮かべる彼に、一緒に戻る面々はやれやれと言いたそうな表情を浮かべるのだった。
「で、何を食べているのかしら」
「何って、ポン菓子っていう、駄菓子」
駄菓子をポリポリと袋から取り出しては食べている青年に、華琳は寄こせとばかりに手を差し出す。
たかが【ポン菓子】とはいっても、高圧をかけるような機械はない。だから、青年が両手を合わせて錬成した彼の手持ちが全てである。
「原料は?」
「米。やっぱり、俺、心の底から日本人なんだなーって、米の飯を食って再確認したんだ」
北に位置している魏では、小麦粉が主な主食であり、米は比較的高級品扱いであったため、呉を征服した後の青年は、ここぞとばかりに気合を入れて毎食米を堪能している。
ポン菓子に始まり、甘酒やら団子やら。普通に食べるだけで甘味までには手を出していなかったのを、それはもう派手に解禁していた。反動って怖い。
お金がなくて困っていた豪族や知識人などを、屋にスカウトした挙句、着実に甘味処と駄菓子屋を全国展開させつつある。内務の担当者が早く帰ってきてくださいと、心の底から神様仏様に祈りを捧げるのも仕方がないことなのだ。
「あー。後は温めの緑茶が一杯欲しい」
戦争中であるという緊張感の全く感じられない黒髪の青年であった。
昼前に都に戻ってきた青年は、留守番組にお土産を渡した後、夕食までの時間を内政官に拉致られていった。助けはない。むしろ、頑張れと全員に笑顔で見送られてしまった。
「私達だけだと、どうにもならない箇所もありましたから、さんが帰ってきてくれて助かります」
月に笑顔で言われては、自身も嫌とは言えない。
「後で出かけるわ。それまでに終わらせておきなさい」
「月、詠、荷物の中にお土産あるから皆でーーー」
廊下の角に消えながらの彼の言葉に、残された荷物を月と詠はじっと見つめる。
「南国の何かかしら」
「ふふ、さんらしいです」
「……運ぶ?」
いつの間にかやってきていた恋が二人の後ろからの荷物を覗き込んでいた。
「頼める?」
「さんの部屋でいいですよね?」
「……美味しいもののニオイ」
抜かりのない彼のことだ。きっと、食いしん坊将軍様の分は別枠で用意されているに違いない。
月と詠は視線を交し合い、小さく笑った。
「おお……おれは、やったぜ……」
黒髪の青年は、筆を置いて、畳の上にごろりと寝転ぶ。
「まるで屍のようね」
「返事があるんだから、死んでないよ?」
五分程度そのままでいたら、王様からお声がかかったので、目を開く。
ミニスカートが見えないギリギリで揺れる。
「……何を見ているのかしら」
「男の浪漫?」
「屍になりたいなら、そう言いなさい」
「男は捨ててないけど、命はもっと大事」
笑顔が恐ろしい王様から視線を外した青年は、腹筋で上体を起こして、立ち上がる。
「そろそろ出かける?」
「ええ。あんまり遅くなると、良くないしね」
「了解。じゃ、ちょっと出てくるな」
他の官吏たちに声をかけて、は王様の少し後ろについて歩きだした。
華琳に連れられてやってきたのは、小さな森のような林のような場所に、ポツンと開けた場所だった。
「こんなところに……お墓か?」
不自然に積み上げられた石の組み合わせに、は首を傾げる。
名前も碑もない。彼女が大切にしていた人のお墓にしては、実に質素だ。
「ここに、用事?」
「ええ。橋玄様の、ね」
「橋玄……?ああ、あの……」
朧げな記憶の中にある。確か、曹操をいち早く認めてくれていた人だったか?と、青年は首を傾げる。
「やはり、貴方の知識は恐ろしいわね。そう。私の恩人とも言える人よ」
華琳はその前に立ち、そっと目を閉じた。
「そっか。華琳の恩人か。それは是非お参りしておかないとな」
お墓の前にしゃがんで両手を合わせる。
「最近、仕事を休んでくれないので、部下の方も休めなくて困ってます。是非、夢枕に立って説教してやってください」
「死んだ人間に頼るなんて、貴方らしくないわね」
「こんな感じで、生きた人間の言葉をに聞く耳を持ってくれないので、仕方ないんです。よろしくお願いします」
ゲシゲシと腰に感じる蹴りは無視して、橋玄への願い事を言い切って立ち上がる。
「よし。後は、大陸を統一して、またお参りに来よう。他にもお願い事が出来るかもしれんしな」
もう一回青年の脛を蹴った華琳は、馬を繋いでる場所へと歩き出す。
「さあ、行くわよ」
「ああ、手に入れよう」
『流れ』なんぞに、負けられない。
手に入れるのは、誰もが笑っていられる未来。
皆が、ではなく。彼が望んだ、その先を―――