目指せ、魔王様。05

「おはようございます、織斑先生」
朝、様子を見に来た千冬に淹れたての珈琲を提供する。そろそろ習慣化が完成しそうだ。
「今日も更識はもう行ったのか?」
「ええ。根を詰めすぎないように、とは伝えているんですが」
「そうか。いい関係を築けているようで何よりだ。そういえば、は模擬戦にそのまま打鉄を使うつもりか?」
の机に広げられたノートを見ながら、千冬は勉強机の椅子に腰かけて珈琲を受け取る。
「そうですね。漸く慣れてきたところなので、このままコンマパーセントでも勝率を上げたいところですね」
「ほう?」
「まだ近接戦闘で一発逆転を狙う方が勝つ可能性があると思いまして」
「勝つ気か」
「そんなことを言うなら、最初から模擬戦に巻き込まないでいただけませんか?明日から模擬戦が終わるまで、珈琲とツマミは口にできないと諦めてください」
ニヤリと笑う彼女の言葉に、ため息と共にちょっと意趣返しをしておこう。
「それは……」
「時間がないんです。誰かが弟可愛さに、俺を巻き込んだりするから」
実際、あの時、千冬が一夏に『自薦他薦は問わない』と言わなければ、一夏はの名前を挙げなかっただろう。そのままじっと無言で見つめていると、最後には根負けした千冬が目を逸らしてしょんぼりと肩を落とした。
「はぁ……模擬戦が終わったら、特別に一回だけ。とっておきの豆と、夜はおつまみ三品」
「……もう一声」
その様子を哀れに思って情けを掛けたら、更に釣り上げられてしまった。
「仕方ありません。この間、知り合いの人に貰った酒処の純米大吟醸がありますので、それを」
「なんで持ってるんだ?むしろ、没収しなくてはいけない気がするんだが」
「入学祝いだそうです。飲めないので、料理にでも使おうかと思って……わかりました。やめておきます」
美人がそんな血の涙を流しそうな表情をしないでほしいと、は思う。
「全ては模擬戦が終わってからですけど」
「明日に変更するというのは……」
「どれだけ私情を挟めば気が済むんですか。そんな事をしたら、二度と珈琲もツマミも口にできなくなると思ってください。勿論、純米大吟醸もですよ?」
「冗談に決まっているだろう」
「視線を逸らせながら言われても、全く説得力がありません」
仕方ないですねと言わんばかりの彼の声が、千冬は嫌いではなかった。

今日も朝からISの基礎知識を頭に詰め込む作業を、は地道に行っていた。
普通科目の方もとりあえず復習程度に授業を受けつつ、ISの勉強をするのを優先させることを許可されていた。
「はい。では、ここまでです。次はISの授業ですので遅れないよう気を付けてくださいね」
副担任である真耶の言葉に、教科書を閉じて一息吐いた。
隣で半死半生状態の一夏を無視して、はリュックの中から紙袋を取り出し、少し離れた場所に座るセシリアのもとへ向かう。
「お邪魔してよろしいですか?」
「ミスタ?何かわからないことがありまして?」
「今回は別件です。ちょっとおやつを作ったので、是非女性に試食をお願いしたいと思いまして」
ぽすっと彼女の机の上に紙袋を置くと、セシリアだけではなく、周囲の生徒もその紙袋に注目する。
「焼き菓子を幾つか作ったので、食べていただけませんか?味見はしてあります」
ゴソゴソと種類ごとに包装されたパウンドケーキを取り出す。
「こちらは、干しブドウ入りで、こちらはチョコ味です。こちらがプレーンタイプです」
食べやすいサイズにスライスされているそれらに、セシリアだけでなく、他の面々も目を輝かせる。
君の手作り?」
「ええ。お口に合えばいいのですが。布仏本音さん、で間違っていませんか?」
「うん。よろしくねー」
制服の袖だけではなく、全体的な雰囲気がゆるゆるな子の名前を確認しながら、彼女にも紙皿に取り分けたケーキを手渡す。
「わーい。ん、美味しいね!」
それは良かったとが本音の頭を撫でている間にも、ケーキは消えていく。
「ワイロ?」
「ワイロ?……ああ、今度の模擬戦で手加減してくれませんか?って事ですか」
クラスメイトの誰かが呟いた言葉に、は笑ってしまった。
「それなら、模擬戦の話が出た時に、織斑先生公認でハンデを貰っていますよ。大英帝国の貴族当主に、こんな原価数百円のオヤツではワイロにもなりません。それに、ワイロで手加減してくれと頼むなんて、ミス・オルコットに対する酷い侮辱です」
セシリアに笑いかければ、彼女も笑って頷いている。
「ふふふ。このケーキは美味しいですが、紅茶がないのが減点ですわね」
「あまり紅茶を淹れるのは得意ではないのですが、次はセットでご提供いたしましょう。……さすがに元女子高。あっという間でしたね」
セシリアとが話をしている間に、三本分のケーキは全て生徒たちの胃袋に消えていた。
「まさか、ここまで大人気になるとは。今度はクッキーを多めに焼いてきますので、今日のところは許してください」
ごめんなーと困ったように笑う青年に、クラスメイトや他のクラスから来ていた面々も強くは出られない。
まるで妹のように撫でられている本音が羨ましいやら、お嬢様の扱いを受けるセシリアが妬ましいやら、乙女心は複雑らしい。
「さて、そろそろお開きのお時間ですね。では、また次回をお楽しみに」
授業が始まる前には席についておかないと、怒られてしまいますからねとが促せば、そうだったとばかりに自分の席へ戻っていく。
「織斑先生の統率力は、実に素晴らしい」
彼女たちの様子を見て、青年は小さく笑うのだった。

「次の授業では空中におけるIS基本制動をやりますからね」
IS学園では、実技と特別科目以外は基本担任が全部の授業を受け持っている。
そのたびに毎回職員室まで戻るのはご苦労な事である。
休憩時間に入った途端、クラスメイトがこちらに寄って来るのを感じたので、気配遮断を速攻で発動させた。
一夏に興味が集中している間に、ノートをもってセシリアのところへ避難する。
「申し訳ありません。先ほどの授業で分からないことがあったので、教えていただけませんか?」
「……上手い口実ですわね。どこですの?」
「ここなんですが……」
ノートを開いて教えてもらっていると、織斑先生が少し早めに戻ってきた。
「おや?もうそんな時間でしたか。ありがとうございました」
「構いませんわ。わからない事があれば、教えて差し上げますと言ったのは、私ですもの」
「それでも感謝の気持ちを忘れては、人としてダメでしょう?」
が微笑みながら告げた言葉は、最近では女尊男卑の風潮に押されて消えかかっているが、人としての最低限のマナーであった。
「休み時間は終わりだ。散れ」
唐突に聞こえた破裂音に、席に戻りながら何かと視線を向ければ、千冬が出席簿を叩いてその音を出していた。出席簿アタックを使わずとも、音だけで教室が鎮まるとは、やはり素晴らしい統率力だと改めて感心してしまう。
「ところで織斑、お前のISだが、準備までに時間がかかる」
「へ?」
「予備機がない。だから、学園で専用機を用意するそうだ」
千冬の台詞に、ざわつきだすクラスメイト達の中で、は小さくため息を吐いた。
彼女の言葉の意味を、この教室内で唯一理解していない男子生徒に呆れると共に、彼との待遇の格差に学園上層部と政府を盛大に脳内で罵っておく。
教科書を音読させられても、理解が出来てない奴に、冷たい視線を向けるくらい許してほしい。
「あの、先生。篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか?」
女子の一人がおずおずと千冬に質問を投げる。
「そうだ。篠之はノあいつの妹だ」
珍しい苗字だから隠し切れるはずもないが。だからと言って、堂々と答えてしまうのは、どうなんだろう。
授業が始まると言うのに、箒に押し掛けるクラスメイト達の言葉に、は若干のめまいを覚えた。

あんな『天災』が何人もいてたまるか。
織斑一夏が、織斑千冬と同じではないように。
篠ノ之束と、篠ノ之箒が同じであるはずがないのだ。

「あの人は……」
関係ないと続けようとした箒の言葉は、教室内に響いた何かが倒れる音で遮られてしまう。
「……すみません。失礼しました」
落としてしまったペンを拾う時に、椅子を蹴倒してしまいましたとばかりに、はペンを掲げて見せた。
「あー、それとですね。もう授業開始時間を過ぎているので、席に着かれた方が。鬼より恐ろしい……っと、このように本当に容赦のない攻撃が来る前に」
耳元で聞こえる空気を粉砕する音が、本当に恐ろしい。
全員が速やかに席に着いたのを見て、千冬はを軽く睨み付けた。軽く肩を竦めるだけで終わらせる彼が若干憎たらしい。
だが、友人の妹をかばう行動だと理解できるので、それ以上『ここ』での突っ込みはしないでおく。
「よし。ちょっと来い、
授業の後、千冬はまだ教科書を開いているの肩を叩いた。
「え?俺はもう少し先ほどの復習をして、お昼を…」
「勉強熱心なのはいいことだな。私直々にみてやろう。さあ、来い」
千冬に何処かへ連れられて行くに、一夏を含めクラスメイト全員が合掌していた。

「こちらが教員用の食堂ですか。……今日は落ち着いてご飯が食べられるって事ですね」
千冬の隣で、辺りを見回す青年に、教員からの視線は刺さってくるが、生徒達とその数は比べるべくもない。
は何にする?」
「え、俺は自分で……」
「ここはおとなしく奢られておけ。日頃の珈琲とツマミの礼もある」
「では、遠慮なく。日替わり定食にメンチカツをオプションでお願いします」
ちなみに今日の日替わり定食は油淋鶏である。
「揚げ物をセットとは若いな」
「食べても食べても腹が減るという燃費の悪さを誰に訴えればいいんでしょうか」
呆れたような視線を向けてくる千冬に、はぐるぎゅーと音を立てる自分の腹に手を当てる。
「これが外だったりしたら、女性に奢らせる俺はタコ殴りですかね」
「ふん。私が奢りたいと言っているんだ。他の誰が何を言おうと知ったことか」
ついうっかり惚れそうな男前の台詞に、は嬉しそうに頷いた。
「またろくでもない事を考えているだろう」
「そんなことありませんよ?」
自身は『ろくでもない』と認識していないので、しかたない。
「織斑の専用機は遅れているんですね」
「ああ。元々開発していた代表候補生の専用機を放り出し、お前の専用機を作る余裕すらないほどに集中して作業しているはずなんだがな」
食事を終えて、と千冬がお茶を片手に話し始めたのは、あまり明るい話題ではなかった。
「その専用機をもらう奴が、まさかその希少性を理解していないとは思いませんでしたが」
「全くだ……。私も頭が痛い」
流石に見るに見かねて、千冬が教科書を音読させたが、あれはきっと意味を理解できていない。
専用機を渡されるという意味。
世界の人口の半分が女性だと仮定して、30億分の500以下の狭き門を突破して、やっと手にできる栄光を、『男』であるという希少性だけで手にしているという事実を。
「ミス・オルコットには、フォローを入れておきますが、そろそろ俺の方が限界がきそうです。その辺は理解しておいてください」
「うむ……」
千冬は仕方がないと苦渋の表情で頷く。
弟のことが心配ではあるが、教師としての立場上、一夏だけに肩入れは出来ない。
「あの無意識に他人の地雷を踏んでおいて気づかない性格は、今のうちに矯正しておいた方がいいと思いますよ?」
今日に至るまで、一夏を意識的に避けてきたのだが、に避けられている理由すら思い当たらないのでは、どうしようもない。
「ああ、初めて模擬戦が楽しみになってきました」
「……お手柔らかに頼む」
にこやかに笑う青年に、千冬は申し訳なさそうに告げるが、彼の笑顔は変わることがなかった。

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後書&コメント

  1. 一夏矯正ルート及びクラスメイト餌付けルートが発動しました。
    千冬さんとイチャイチャさせたいのに。。。

    コメント by くろすけ。 — 2019/02/02 @ 23:22

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Posted: 2019.02.02 インフィニット・ストラトス. / PageTOP