さあ、覚悟を決めよう。
はその日、耀哉に渡されていた手紙を手に、悲壮な決意を誓った。
「……つまり、私に『鬼』と協力しろ。そういう事ですか?」
手紙を読み終えたしのぶは、目の前で土下座しているに視線を向けた。
「さん?」
「その通りです」
は顔も上げず、それだけを答えた。
しのぶはもう一度、耀哉からの手紙に目を落とす。
そこには、『鬼』の協力者と共に対無惨用に毒を作成してほしいという依頼と、耀哉の『お使い』をした目の前の彼に対する助命嘆願が書かれていた。
「確かにさんがここへ来てから、一度だけ御館様の『お使い』だと、夜に出かけた時がありましたね。あの時から、こんなことを企んでいた訳ですか」
「……その通りです」
「まあ、さんが私に言いにくかったんだろうという事は、容易に想像できますが」
言葉もない。
しのぶが大きく息を吐くと、は肩を震わせて、彼女を伺う。
「ちゃんと話をしたいので、顔をあげて、こっちに来てください」
叱られた子供のような彼に声をかけて、隣に来いと畳をポスポスと叩く。
「……はい」
「今になって話すという事は、薬作りがかなり進んだとみていいですか?」
「……ああ。前から作っていた薬が何とか形になった。本当は君を巻き込まずに、最後まで行ければよかったんだが………ひふぁい」
正座している彼の両頬を摘まんで左右に伸ばしながら、しのぶは呆れたように彼を見上げる。
「さんは時々ボケボケになってしまいますね?私の最優先事項は鬼退治ですよ?協力者が誰であれ、使えるモノは使います。使った後に退治してしまうかは、さん次第ですね」
しばらくの頬を弄んだしのぶは、気が済んだとばかりに手を放した。
「はい」
「適材適所というでしょう?これでも薬については、人よりも少し詳しいんですよ?」
「それは重々知ってる」
今度は脇腹をつんつんしながら、わかってますか?と告げてくるしのぶに、は真面目な顔で頷く。
「さんから見れば、十も下の小娘かもしれませんが、頼ってくださっていいのに」
「小娘なんて思ってないし、今もすごく頼りにしてる」
「今回は御館様の助命嘆願もありますし、これ以上は言いませんが、次は容赦しませんからね?」
「承知しました」
「後で色々聞いてもらいますから」
「わかった。君に悪影響が出ないなら、俺に出来る全力で対応させてもらおう」
何をさせるのかを聞きもしないで真剣な顔で頷くに、しのぶはふふっと笑った。
そして、初めてしのぶを秘密の地下研究所に案内した日。
彼女と愈史郎の目が合った瞬間、脳内でゴングが鳴り響いた、気がする。
視線が合った瞬間に、何か通じ合うものがあったのだろうか。
「犬猿の仲、ってこういうこと?いや、気軽に言い合える相手が居るってのは、良い事なのかな?」
目の前の罵り合いを見て、そんなことを言っているに、珠世も呆れ気味である。
そんな二人の声が大きくなり、お話が肉体言語になる直前に、と珠世の二人が動いた。
「愈史郎!」
珠世が愈史郎を止めると同時に、はしのぶを抱き上げて物理的に引き離す。
「さん!あいつ、姉さんの事を『醜女』って!」
「はいはい。落ち着きましょうね。愈史郎は珠世さんだけが世界で唯一なので大目に見てやってください。君のお姉さんなんだから、お会いしたことはないけど、カナエさんは美人に決まってる」
が笑って、断言する。
それが『しのぶは美人』と断言しているのと同義であると、他の三人は気づいていた。
「……お前も苦労してるんだな」
「いつでも相談に乗りますから。その、私でよければ……」
「なんというか、ありがとうございます」
人も鬼も区別しない身内認定をした存在にデロ甘の男に、振り回される苦労を理解している三人だけで分かりあう。
「三人だけで分かり合わないで欲しいんだけど」
当人から不服そうな声が上がるのだが。
「少しは自分の所業を反省しろ」
「さんはもう少し発言を考えるべきだと思います」
さっきまで言い合っていた愈史郎としのぶの息の合った返事と、言葉にはしないけれど、否定もしない珠世の視線に、ぐうの音も出ないとはこの事である。
「と、とりあえず、何故、このタイミングで引き合わせたかというお話をしましょう!」
必要なものを取りに行ってくるからと、部屋を飛び出していったを見送り、三人は同時にため息を吐く。
「逃げましたね」
「逃げたな」
しのぶと愈史郎がボソリと呟く。
「……その、こう言っては怒られるかもしれませんが、貴女に会うのを楽しみにしていたんです」
残された三人に微妙な空気が流れる中、珠世がしのぶを正面から見つめて話しかける。
「私に、ですか?」
「はい。さんが、絶賛する貴女に」
「……は?」
「べた褒めだったぞ?」
珠世の言葉に目を点にしているしのぶに、愈史郎はため息混じりで彼女告げる。
「子供のころから努力されて、鬼を倒す毒を完成させた人なんだと」
「惚気られていると思ったが、どうも本人にはその自覚がないらしい。『本当の事しか言ってない』って胸を張られたが……その様子だと知らなかったようだな」
珠世は微笑みながら、愈史郎はその時のことを思い出して呆れながら、しのぶに話して聞かせる。
『鬼』を殺す毒の話を、何を自慢げに『鬼』に話しているのだろうか。
「その、私たちに初めて会いに来られた夜も、笑顔で袋一杯の紅茶を差し出されましたし」
「そのまま、俺の出した紅茶を毒見もせずに飲み干した阿呆でしたね」
「他には、その、こちらの研究所に招いてもらったのはいいのですが、眠いっておしゃって……」
「ああ。唐突にそこの長椅子で昼寝を始めたこともありましたね。自前の毛布を持ち出して、気持ちよさそうに。俺たちの目の前で」
「こういってはなんですが、自分が鬼であることを忘れてしまいそうになりました」
アレはない、とばかりに初めて会った日からこちら、がやらかしてきた出来事を、しのぶの前で珠世と愈史郎は話していく。
「あの人は、本当、何をしているんでしょうね」
「苦労はわかる」
両手で顔を覆って俯いてしまったしのぶに、愈史郎が思わず声をかけるほどには、の所業は色々アレだったようだ。
「ただいま、あれ?なんか仲良くなって……る!?」
はしのぶに襟首を掴まれ、廊下に逆戻りさせられる。
彼らが戻ってくるまでの三十分間、珠世と愈史郎は、つかの間のお茶の時間を楽しむことにした。
「あー、色々ありましたが、仕切り直して」
戻ってきたは、数本のアンプルを持ってきていた。
「これがやっと出来たんだ。これから『鬼』に対して有効かどうか確認するんだけど、俺の【鑑定】で『こうかはばつぐんだ』って出てるんだよね」
「何ですか?これ」
「『ペニシリン』。抗生物質というやつで、抗菌剤とも言われる感染症に対する特効薬です。ちなみに原材料は、ミカンに生えた青カビです」
「青カビ」
原材料を聞いた三人ともが、微妙な表情だ。
「細菌やウィルスに対して、効果は抜群です。鬼って病気だったんですね。俺の魔法で治んないかなぁ」
実際、鬼にする手段を考えると、血を媒介に伝染する病気と言えないこともない。
今度、鬼に向かって【エスナ】唱えてみるとか【ディスシック】や【万能薬】を投げてみて、安全性を確認しようと心に決める。
「治験もせずに、禰豆子や君らには怖くて使えないし。もう少し早くわかっていたら、この間会った上弦の参にぶち込んでいたのに」
『敵』認定した相手には、実に容赦のない男である。
「他の病気、破傷風や梅毒なんかにも特効性がある。無惨にはもっと複合効果のあるものを特別調合するとして、これはこれで病気の治療に使えるので、現在量産体制に入っています」
誰がどのように量産体制を行っているかは、もはや誰も突っ込まない。
自重を辞めた魔法遣いは、使い魔、支配下の部下、召喚獣を使い放題で、既に裏側からこの国の改革を開始している。
この国を牛耳るのも、この国が世界に冠たる国になるのも、遠くない未来だねと耀哉が息子に語ったとか何とか。
溺愛している話は、こちらの二人にも当の本人から伝わっていた模様。
愈史郎からも同情されるって結構だと思うんです。
鬼化は遺伝子異常とか、そういうものかなぁとも思ってますが、この話では、こういうものだと思ってください。
次回は遊郭篇開始の予定ですが、来週ではないかもです。。。
すみませんが、更新されていたらラッキーと思っていただけると幸いです。
コメント by くろすけ。 — 2021/07/24 @ 17:36