さあ、始まりの鐘を鳴らせ

その日、はいつもより大きな紙袋を持って、いつもどおり薔薇の館への道を歩いていた。

あれは彼の家に全員を招待した日の話だ。
さん、少しいいですか?」
お皿を持ってきてくれた志摩子が何やら緊張している様子で彼に声を掛けてきた。
「何かあったんですか?」
彼女や一緒に来ていた祐巳や由乃が話してくれたのは、同級生で写真撮影を『生業』としている蔦子さんが、是非に会って話をしたいことがあるのだという。
「ああ、もしかして、今朝の子かな?」
はわしゃわしゃとスポンジを泡立てながら思い出せば、脳裏にカメラを持ってガッツポーズをしていた子が浮かぶ。
「朝、何かあったんですか?」
意気込んで聞いてくる由乃に、彼は手際よく洗い物を片付けながら朝の出来事を話して聞かせた。
「ということなんですよ。間違いなく、その時の写真の話だと思いますけれど……」
最後のグラスをすすぎ終わって、タオルで手を拭きながらは苦笑する。保護者達と写真を撮るのが嫌な訳ではないが、それに付随する思い出には苦笑いが止まらないのだ。
「次のお茶会の時でもよければとお伝えください」
「はい。必ず伝えます」
「さて、貴女のお姉さんが退屈で探検に乗り出してしまわないうちに、戻るとしましょう」
志摩子を促してリビングに戻れば、薔薇様方はどこから見つけてきたアルバムに釘付けで、は苦笑したのだ。

そして、今日がその約束の日だった。
来客がわかっているので、いつもより多めのお茶菓子を用意してきた。
昼食後、授業に戻る皆を見送ったは、グルリと室内を見回す。
「さて、やりますか」
持ってきた荷物を机の上に広げ、彼は袖口を肘のあたりまで捲り上げた。

午後の授業が終わって、エスコート役を任された祐巳を除いて、山百合会の面々が早々と集まってきた。
なんせ『カメラちゃん』と異名をとる彼女が是非にという、あの青年の写真なのだ。
さん、用意……」
珍しく一番乗りをした聖は扉を開けたところで固まった。
「聖?何をして…」
いるの、と扉の中を見た江利子は続けられなかった。
「ああ、今日もお疲れ様でした」
そこには、お店での格好と同じ黒のズボンと白のシャツ、黒のチョッキ姿の黒髪の青年が優しく微笑んでいたから。
「どうしたんです?その格好」
「ちょっと部屋の掃除をした後、一階の部屋を借りて着替えてみました。この場所に訪れるようになって初めてのお客様ですし……ダメでしたか?」
見上げてくる蓉子の前で、はちょっと困ったように笑った。
「いいえ、よくお似合いですわ。写真を撮られた時もその格好でしたものね。きっと蔦子ちゃんも喜ぶわ」
「そうですか、よかった」
は蓉子の言葉に安心したようすでため息を一つ吐いた。
「さて、今日も紅茶でよろしいですか?聖さんは珈琲?」
優しく頭を撫でられて聖は小さく頷く。
学校では初めて見る格好に、ちょっと意表をつかれた。けど、やはり彼の優しさは変わらなくて、彼女は少し嬉しかった。

「祐巳さんは後から?」
紅茶を淹れる手伝いをしてくれる由乃と志摩子に尋ねれば、志摩子が微笑んで答えてくれる。
「ええ。蔦子さんを案内してくるように薔薇様方から言われて」
「案内、ですか?」
「ええ、普通の生徒達はここに訪れにくいらしいんですよね」
由乃の言葉には更に首を傾げた。
「離れという事もあるんですけど、ね」
「薔薇様たちは尊敬されてますから」
二人の言葉に、同い年の三人を振り返れば、いつもとは違う雰囲気だ。
特に聖はいつもなら彼の背中に懐いているのに、今日は窓の近くに立って外を眺めている。
「ああ、まあ、仕方ありませんよね」
青年の言葉が部屋に満ちる。
「あの人達は、貴女達の表面しか知らないのだから」
自分は本当の貴女達を知っている。そう言われているようで、部屋に居た全員が微笑みを浮かべていた。

「お、来たよ」
窓の側に立っていた聖が人影を見つけて声を上げる。
「何かあったかな?」
一向に入ってくる気配の無い様子に、はカップを暖めておくのを頼むと、祥子と共に一階へと向かった。
「祐巳、どうかして?」
「何かありましたか?」
入り口まで迎えに来た祥子とを、祐巳は困った顔で振り返る。
「ごきげんよう、紅薔薇の蕾。そして、初めまして、『薔薇の騎士』様」
祐巳が答える前に、その横に立っていた人物が彼らに声を掛けてきた。
「三奈子さん…」
祥子はポニーテールの彼女の出現に眉を顰める。彼女がここに現れた理由など隣の青年以外にありえない。
その隣の青年は、一瞬、何か苦いものを飲み込んだような表情を見せるが、すぐに営業用スマイルを口元へ浮かべた。
「新聞部部長の築山美奈子といいます」
「ご丁寧にありがとうございます。私はと申します」
三奈子へ恭しく一礼して、この場にいる最後の一人に声を掛けた。
「ということは、貴女が武嶋蔦子さんですね?ようこそ、お待ちしておりました」
見る人が見ればわかる、お客様用の微笑みを浮かべたは丁寧に対応する。
「ところで、薔薇の騎士というのは、もしかしなくても私のことですか?」
まさかここでも二つ名を付けられるとは、苦笑いするしかない。
「ええ、そういう噂が。今回、是非お話を伺いたいと思いましてお時間いただけますか?」
「勿論、構いませんとも」
微笑む彼とは対照的に、祥子と祐巳は驚いた顔でを見上げた。
「祐巳さん。申し訳ありませんが、先にお二人をご案内いただけますか?」
さんは…?」
「お客様が増えてもいいように、予備のお皿を用意してきましたので」
そう言って、彼は一階の部屋を指差した。

祥子は祐巳と『お客様』を見送った後、一階の部屋に入っていくを追った。
さん、どうして…」
「貴女の対応から下手に黙っていて、捏造記事を載せられる方が困ると判断しました」
青年は祥子に背中を向けたまま、持ってきていた荷物からお皿とカップを取り出している。
「売られた喧嘩は買うのが私の流儀ですよ?そして、負ける喧嘩をしないのも」
振り返ったは祥子を安心させるように微笑むと、不敵な言葉を口にした。
「何か問題を起こせば、私は二度とこの学園の中には入れなくなってしまいますからね。この大切な時間を守ってみせますよ」
安心してくださいと言うように、祥子の髪をその大きな手で優しく撫でる。
それだけで乱れていた心が落ち着いてしまうのだから、彼の手は祥子の好きなものの一つだった。

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後書&コメント

  1. さあ、新聞部襲来(笑)
    基本ジェントルマンなので、女性に酷いことはしませんよー。
    うまく言いくるめてしまうのは、とても得意なのです。

    コメント by くろすけ。 — 2009/06/05 @ 20:31

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Posted: 2009.06.05 マリア様がみてる. / PageTOP