それはアジトで打ち合わせをしていた時の事だった。
少し遅れてやってきたが、室内を見回して、カレンの上で視線を止めた。
小さく首を傾げたかと思うと、部屋を突っ切って彼女の元へ向ってくる。
歩きながらいつもしている手袋を外すその仕草も様になっていて、カレンはボーっと彼を見上げている。
「?」
彼女の前に立った彼は、自然な流れのように手を彼女の額へと触れさせた。
「!」
慌てて声を上げたのは、彼女の保護者でもある扇だった。
「……熱がある」
その一言で、自らの症状を身体が理解したのか、カレンの身体がふらりと傾く。
周囲で叫び声が響く中、カレンを抱きとめながらは、彼女と人一人分開けて座っているゼロへと確認というより宣言するように「休養をとらせる」と言って、彼女を抱き上げた。
「診察を」
カレンをお姫様抱っこにしてふらつきもせず、彼はラクシャータを見て端的に告げる。
「ほーい。とりあえず、仮眠室かね」
ラクシャータの答えに頷いた後、近くにいた井上へと声をかける。
「着替えを」
「あ、はい。すぐに持って行きます」
井上は立ち上がると、走って部屋を出て行った。
それを見送って、彼はカレンを抱き上げたまま、ラクシャータを連れて仮眠室へと向かった。
「38.9度」
ラクシャータは、取り上げた体温計を見て苦笑いした。
「今日のところはゆっくり休むんだね」
「………は?」
「着替えるのに、居たらまずいだろ? あんたをここに連れてきた後、出て行ったよ」
ラクシャータの言葉に、カレンは泣きそうな顔になってしまう。
「……あきれられたら、どうしよう…?」
それは無いだろう。
ラクシャータはそう思った。
部屋に入ってすぐ、彼だけがカレンの不調に気付いたのだ。
付き合いの長い幹部もいたのに、だ。
本当に可愛いなーとラクシャータはカレンの頭を撫でてあげる。
「大丈夫だよ」
その時、ドアをノックしてが入ってきた。
「…」
カレンは彼の登場に跳ね起きようとするが、ふらふらと寝台へと逆戻りしてしまう。
「無理をするな」
彼の手にはお盆が乗っていて、そこからはふんわりといい香りがしていた。
「後は任せていい? 疲労からの風邪だから休めば治るよ」
部屋に入ってきたにラクシャータが声をかける。
「わかった。…ありがとう」
「どーいたしまして」
「じゃあ、私も仕事に戻りますね。カレン、大人しくしてるのよ?」
井上も席を立ち、へ椅子を譲った。
「ありがとう」
「どういたしまして。カレンをよろしく」
「ああ」
二人が出て行った後、はテーブルにお盆を置く。
「……食欲はあるか?」
「あ、はい……」
その答えには頷くと、枕と布団を集めて、カレンの身体を食事しやすい体勢にしてやる。
そして、彼はレンゲに粥を掬って少し冷まして、それをカレンの口元へ差し出した。
「あ。え?」
「……どうした?」
どうやら、彼にとっては一連の流れは普通らしい。
「い、いただきます」
「ああ」
粥は柔らかく煮えており、味は薄味だがそれが疲れた胃には優しい。
「美味しい…」
「そうか。その笑顔が見えるならば、腕を奮う甲斐があるな」
「これ…が?」
「ああ」
まるで餌を与える親鳥のように甲斐甲斐しく、カレンの世話をする。
食事を終えて薬を飲ませると、再び横にして額に触れた。
「やはり、熱が高いな」
「……すみません」
「気にしなくていい」
「でも……」
「……頼む」
先ほどカレンが崩れるように倒れた時、叫びそうになるのをどれだけの気力で耐えたと思っているのだろうか。
「頼むから、早く元気になってくれ」
声に込められた願いに気づいたのだろうか。
カレンの身体から緊張が消えた。
「あ、あの…一つ、お願いしてもいいですか?」
「何だ?」
「眠るまででいいんです。その、手を…」
真っ赤になって布団に半分顔を埋めて話すカレンの声は段々小さくなっていくが、彼の耳にはちゃんと届いた。
いつもは手袋をしていて直接触れることの出来ない手。
その手が両方とも素手で、彼女に触れていた。左手は額に置かれた濡れタオルをこまめに取り替え、右手はカレンの手を握っていてくれる。
「ありがとう、ございます…」
次の日、目が覚めてカレンの額に手を当てれば、随分と下がっていた。
青年は安堵のため息を吐いて、額に張り付いている髪を優しく取り除いてやる。
「ん…?」
それがくすぐったかったのか、カレンが薄っすらと目を開いた。
「すまない、起こしたか?」
「?」
「ああ。どうだ?熱は下がっているみた……」
未だ離していなかった、というより離すのがもったいなかっただけなのだが。彼の手に甘えるように擦り寄ってきたカレンに、彼の思考は停止するところだった。
「……大丈夫そうだな」
この一言をひねり出すのに、どれだけ気力と忍耐力を割いたか、考えるだけで気が遠くなりそうだ。
「はい。のお陰です」
「……朝食を用意してくる」
「え?」
ああっ、だから、その見捨てられる小動物みたいな目は反則っ!
は内心絶叫するが、表面上は何事もなかったかのように手を離させる。
泣き出しそうなカレンに、膝を屈したくなるのを強靭な精神力で耐え、いつも纏っているコートを布団の上からかけてやる。
「すぐに戻る。それまで、代わりだ」
「…はいっ」
笑顔のカレンの頭を軽く撫でてから、部屋を出た。
ずるずると部屋の前に沈み込みたくなる身体を、気力で奮い立たせて厨房へと向かう。
「強靭な精神力だな」
向かう途中、C.C.にニヤリと笑われた。
「C.C.に誉めてもらえるとは光栄だ」
「半分呆れも入っているがな」
肩をすくめ、マスクの奥で苦笑するしかない。
「今日の朝食はどうなる?」
「うどん。丁度乾麺があった」
「ああ。それは昨日貴様の弟が買ってきていたぞ」
「さすが、我が弟。で?」
視線だけでC.C.に問いかける。
「無論、いただく。貴様の作る食事は美味いからな」
仮眠室へ戻れば、カレンがコートを手にして顔を真っ赤に染めていた。
どうやら、寝ぼけていた頭がすっきりして、自分が何をしたか理解したらしい。
「食べられるか?」
どんぶりの中には月見うどん。
「一応、まだ消化のいいものにしておいた」
「あ、あの……すみませんでした。朝まで握ってもらってて……」
「いや、いい。私が好きでしたことだ。それより食べないとさめてしまう」
「はい」
カレンはどんぶりを受け取ると、ゆっくりと食べ始める。
の作ってくれるものは、いつも美味しい。カレンはつい頬が緩んでしまう。
「美味しいか?」
「はい」
カレンの答えに、は安心したとため息を吐いた。
「すみません。迷惑を掛けてしまって」
食べ終わって器を返しながら、カレンは謝った。
「迷惑?」
その言葉を聞きとがめたは、トレーをテーブルにおいて、彼女の側へ寄った。
「カレン」
「はい」
「君が掛けたのは、『迷惑』ではない。『心配』だ」
はまるで子猫をあやすように、カレンの頬や顎に手を触れさせる。
「だから、言うべき言葉は……わかるな?」
「……ありがとう」
「いい子だ。では、薬を飲んで、昼までは大人しくしていることだ」
「え……」
大人しく、という言葉にカレンは眉を寄せた。
どうやら、もう起きて動きたいらしい。活動的な彼女らしいと、は笑った。
「しかたないな」
がそう言うと、カレンは目を輝かせた。
「……私が付いていようと思っていたのだが」
「え?」
途端にカレンは寂しそうな顔を見せる。
「が…?」
「ああ」
「……いつもはあんなに忙しくしてるのに」
「今日はカレンの側に居られるが?」
そんな風に言われたら、降参するしかない。
カレンは昼までの時間、を独り占めすることに決めた。