「ふはは、見ろ。人がゴミのようだ……と言いたくなる気持ちがわかるにはもう少し人数がいるな」
城壁の上から出立準備に追われる兵士たちを見下ろして、青年はひとつ頷いた。
「しかし、実際に見ると迫力があるな」
千人に及ぶ部隊の準備風景である。
武器に食糧、矢玉に防具。薬や調理道具まで。備品の幅広さに事欠かない。
食糧だけでも、目の前の部隊がたった一日行軍するだけで三千食分の食料が必要になる。
「実に生産性のない話だな。戦を無くすために、戦うか。ひどい矛盾だ」
これも平和な国から来たからこその考えだろうと、は小さくため息を吐いた。
この時代では、戦わなくては生きてゆけないのだ。
「。こんなところでどうした?」
呼ばれて振り返れば、黒髪をなびかせて魏武の象徴が立っていた。
「これだけの部隊を見るのは初めてだから、少し圧倒されていた。春蘭の方の用意は終わったのか?」
「うむ。順調に出発出来るぞ。しかし、この程度で圧倒されては、華琳様が一国の主となられた時にはどうするつもりだ?」
「それまでには慣れると思いたいな」
「何を話しているの、二人とも」
「か、華琳様……!これは、が!」
背後から現れた主に、春蘭は慌てふためいて青年を指さす。
「俺は立ってただけなんだが」
はちょっと肩をすくめて苦笑した。
「はぁ……、春蘭。装備品と兵の確認の最終報告、受けていないわよ。数はちゃんと揃っているの?」
「は、はいっ。全て滞りなく。に声をかけられたため、報告が遅れました!」
「俺が声を掛けた事になってる事実に驚きだな。どんな脳内変換が行われたんだ?」
華琳に報告しつつ、その遅れを人のせいにする春蘭に、はため息を吐いた。
「その貴方には、食糧の最終点検の帳簿を受け取ってくるよう、言っておいたはずよね?」
華琳に促されて、は草色の表紙の冊子を取り出した。
「確認書類ならここにある。軽く目を通したが、後一食分は予備で載せた方がよくないか?」
「それも考えて……貴方、これを見たと言ったわね」
書類を見ていた彼女が眉を寄せていくのを見て、はどうかしたかと首を傾げる。
「ああ、それとここ数日見ていた兵の行軍速度、相手までの距離、行動時間などを考えてみた。それで後一食分は予備で欲しいと考えたんだが、何か拙いことを言ったか?」
「……秋蘭」
の言葉には答えず、華琳は隣に控える女性に声をかけた。
「この監督官というのは、一体何者なのかしら?」
「はい。先日、志願してきた新人です。仕事の手際が良かったので、今回の食料調達を任せてみたのですが……何か問題でも?」
「ここに呼びなさい。大至急よ」
「はっ!」
明らかに怒っていますという表情の華琳の言葉に、秋蘭は駆けだしていった。
「さて、どうしますかね……」
としては、相当頭に来ているらしい華琳を、どうやって宥めようかと考えた。
「……遅いわね」
「遅いですなぁ……」
「……二人とも。まだ大して時間は経ってないぞ」
華琳と春蘭のやり取りに、は左腕の時計を確認して苦笑する。
「前から気になっていたけど。その腕輪は何?」
「言ってなかったか。これは時間を計る機械だよ」
の腕にはアナログの時計が巻かれている。
「俺には、太陽を見て時間を判断する機能が無いからな。必需品だ」
「予備とか代用品とかないの?」
「時間を計るだけなら、こいつでも代用が効くんだがな…」
青年愛用のスマートフォンは、今日も胸ポケットに大切に仕舞われている。
「ああ、それね。どれだけの機能が入っているのかしらね」
華琳の言葉を聞きながら、時計と彼女の細い手首を見比べる。
「大きすぎるな……。少し考えてみるか」
そんなことを話している間に、秋蘭が戻ってきた。
「遅くなりました」
戻ってきた秋蘭が連れてきたのは、先ほどが冊子を受け取りに行った女の子だった。
取りに行った時のやり取りは、すでに過去の思い出にしてある。
何故俺が、と言いたくなるほどに、キツイ物の言い方をされたとしては、しばらくは近づきたくないので、少し離れた場所でやりとりを眺めることにした。
「お前が食糧の調達を?」
「はい。必要十分な量は、用意したつもりですが……何か問題でもありましたでしょうか?」
「必要十分って……どういうつもりかしら?指定した量の半分しか準備できていないじゃない!」
華琳の怒声に、は小さく頷いた。
先ほど、華琳が彼の言葉に答えてくれなかった理由を察したからだ。
「このまま出撃したら、食糧不足で行き倒れになるところだったわ。そうなったら、あなたはどう責任をとるつもりかしら?」
「いや、それはないな。絶対」
「いえ。そうはならないはずです」
華琳の言葉に、と彼女の台詞が同時に答える。
答えた途端、に鋭い視線が刺さるが、気にしない事を決めた。
「何?……どういう事??」
華琳はと監察官に交互に視線を向けた後、青年に声を掛けた。
そのため、更にキツイ視線を監察官より頂いた。
「最終確認は、必ず華琳がするだろ?だから、行き倒れになるはずがない」
「そういえば、貴方も先ほど面白い事を言っていたわね。理由を聞かせてもらえるかしら」
「それは、この子から聞いた方がいいだろ。命がけで来たみたいだしな。これ以上、俺が邪魔をしたら、視線だけで殺されそうだ」
華琳の言葉に首を振り、は華琳の斜め後ろから睨みつけてくる猫耳フードを、苦笑いしながら指差した。
「……いいわ。説明しなさい。納得いく理由なら、許してあげてもいいでしょう」
華琳はの言葉に小さくため息を吐くと、振り返り監督官へ告げた。
そこから先、二人の間で賭が進む様子を黙って見ていたは、全てが終わってため息を吐いた。
「しかし、あの猫耳が荀彧、か……」
途中で出てきた名前に、はもう少しで声を上げるところだった。
荀彧。王佐の才。
さすがに泣きそうだぞ、パラレルワールド。
は地面に視線を落として、目頭を押さえる。
ひとしきり頭の中でパラレルパラレルと唱えた後。
「秋蘭、兵士一人ずつにこのくらいの包みを持たせられるか?」
こっそりと実務の担当者でもある彼女に尋ねる。
「ああ、そのくらいのものなら大丈夫だと思うが」
「ちょっと試したいことがあるんでな。すぐに用意する」
面倒なことにならねばいいが、とはため息を吐いた。
は馬の上から空を見上げて、人生について考えてみる。
つい先日までは、普通の大学生だったのに。
今は炭素繊維製に錬成して黒くなったスキーウェアを纏い、同じく炭素繊維製の服を着て、いつものメッセンジャーバックを肩からかけた、黒の野球帽を被った地味な天の遣いだ。
黒髪の魔法使いは、神様を呪いたくなる理不尽さにため息を吐いた。
「、大丈夫か?」
「ああ、こいつと春蘭の特訓のお陰だな。次までに上手く隠す方法を考えないとな」
心配してくれる秋蘭に軽く笑いながら、は足を乗せている鐙を見た。
黄巾党の乱は遠くない。それが終われば、諸国連合が結成されるはずだ。
「……問題が山積しているな。桂花が無事に軍師になってくれれば、とても楽になるんだが。勝算はあるのか?」
隣にやってきた桂花に訊ねる。
「何を勝手に人の真名を呼んでいるのよ!」
「何って華琳が言ってただろ。真名を呼べと。一応、頷いてたろ?もの凄く不承不承ではあったが」
桂花が作戦指揮を執ることになった後、華琳の命令が下ったのだ。
「古参の夏候淵ならともかく、なんであんたなんかに……!」
「そんなことより、本当にこの速度で、大丈夫なのか?食糧はギリギリだろう?」
「そ!そんなことじゃないでしょ!」
「まあ、華琳様の命だ。諦めろ」
秋蘭の言葉に桂花は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……それも計算に入れているわよ。元々この軍の練度ならば、特に問題ないわ」
「まあ、そうだろうな。だが、華琳のことだ。あまり強行軍は好まないように思うが」
その辺りは?と秋蘭に尋ねてみる。
「そうだな。華琳様は勇にも知にも優れる方だが、無理をさせるのは好まれぬ」
「となると、桂花の策に期待ということか」
「ふん。あんたに心配なんて、される必要ないわ」
桂花の言葉には首を傾げる。
「ん?心配なんてしてないぞ。『期待』している。どんな策を披露してくれるのか。実に楽しみだ。……これで俺がここに居なければ最高だったんだが」
猫耳軍師に笑顔で言った後、は小さく肩をすくめた。
「特別報酬をもらったんだ。諦めろ、」
「そうよ。城内に土地をもらって何か建ててたじゃない。少しは働いて見せなさいよ」
「昨日の遅くまで働いてたぞ。ほら、その成果」
はバックから布袋を取り出した時、春蘭が前方からやってきた。
「こんなところにいたのか。華琳様がお呼びだ。前方で大人数の集団を発見した。今、調べに行かせている」
「わかった」
はとりあえず袋をバックに戻して、反転してゆく春蘭の後を追った。
「遅くなりました」
春蘭の案内で華琳のところへたどり着けば、反対側に兵士が控えている。
「ちょうど偵察部隊が戻ってきたところよ。報告を」
「はっ!前方の集団は、数十人ほど。旗が無いため所属は不明ですが、格好がまちまちな所から、どこかの野盗か山賊だと思われます」
「様子を見るべきかしら」
偵察兵の報告を受けた華琳の言葉に、桂花が答えた。
「もう一度、偵察隊を出しましょう。夏候惇、、あなた達が指揮を執って」
「おう!」
「……やはり、そうなるか……」
なんとなく、予想は出来ていたのだが。
現実になると、がっくりと肩が落ちる。
「戦力にならないけど、人手が足りないんだから仕方ないでしょう。せめて夏候惇の抑え役くらい、してよ」
「だよなぁ……」
春蘭と秋蘭をセットで偵察に出すなんて、非常に勿体無い。
「まるで、私が敵とみればすぐに突撃するような言い方だな!」
「違うの?」
「……弟子として、無言を貫きたいところだな」
「違わないでしょう?」
桂花とだけでなく、華琳にまで言われて、春蘭は少し涙目だ。
「秋蘭にはこちらのまとめ役。仮に戦闘になった場合も春蘭の方が適任…か」
「そういう事ね」
頷く桂花を見ながら、はため息を吐く。
「行ってくれるでしょう?春蘭」
「はっ、承知いたしました」
頷く春蘭を見て、今度は帽子の下で微苦笑している黒髪の青年を見上げる。
「、お願いできる?」
華琳の言葉に、は一瞬驚きの表情を見せて、再び小さく苦笑を浮かべた。
「そうか。俺って客だった。すっかり忘れてたけど」
「そうよ。私にあなたに対して命令なんてできないの。で、お願いは聞いてもらえるのかしら?」
「華琳みたいな美人に頼まれて断るほど、甲斐性なしにはなれないな。役者不足かもしれないが、頑張ってくるさ」
そう答えては春蘭と共に偵察部隊を率いて行った。
「どうして、あの男はああなのかしら……」
「全くですな」
遠くなってゆく彼を見つめながら、華琳と秋蘭はしみじみとため息を吐いた。
春蘭に置いてゆかれぬようにと、必死に馬を走らせていると、前方に例の集団が見えてきた。
「……行軍しているようには見えないな」
何かを中心に騒いでいるようだ。
「何かと戦っているようだな」
春蘭の言った途端だった。何かの塊が空を飛んだ。
「……人って空、飛ぶんだな」
その塊の正体を見極めたは、呆然とその吹き飛ばされた男が、地面に叩きつけられる一連を見てしまった。
「ご冥福をお祈りいたします」
が手を合わせていると、前方から報告が入る。
「誰かが戦っているようです!その数、一人!それも子供の様子!」
「何だと!?」
その報告を聞くが早いか、春蘭は馬に鞭を入れた。
「あ、こら春蘭!」
一気に速度を上げた彼女に手を伸ばすが、勿論届かない。
青年はため息を吐いて、一緒に来てくれている偵察隊の隊長に声を掛ける。
「何人かに頼んで、逃げ出す奴らを追いかけてくれ。本拠地を突き止めたい」
「了解です、様」
「さて、春蘭が相手を全滅させないうちに、追いつくとするか」
「はっ!」
春蘭に追いつけと馬に鞭を入れた。
「春蘭、そこまで!」
逃げてゆく盗賊たちを追いかけようとする彼女を、は慌てて後ろから抱きついて止める。
「なっ!何を!」
「全滅させるのが、俺たちの目的じゃないだろ?何人かで追ってもらってる。本拠地を見つけたら、その時思う存分叩きのめしてくれ」
大人しくなった春蘭から腕を離し、は戦っていた少女に声をかけた。
「怪我はしてないか?」
「あ、はい。助けてもらって、ありがとうございました」
「いや、あいつらを蹴散らすのが、彼女達の役目だからな」
「彼女達?お兄ちゃんは?」
「残念ながら、足手まといになりかねん」
「ははは、お兄ちゃん、強そうには見えないもんね」
「そういうことだ」
と女の子が和やかに話していると、華琳達本隊が到着した。
「?謎の集団とやらはどうしたの?戦闘があったという報告は聞いたけれど」
「春蘭の勢いに蹴散らされた。何人かに追跡してもらっているから、本拠地もすぐに発見されるだろ」
「あら、さすがに手際がいいわね」
「お褒めに預かり光栄の至り」
「ん?その子は?」
おどけて一礼してみせるの隣に立つ少女に気付いて、華琳は首を傾げる。
「……お兄ちゃん、もしかして、国の軍隊なの?」
「ああ、そういう事に……!?」
答えた瞬間、振り下ろされたのは、女の子の持っていた巨大な鉄球だった。
「どういう事だ?」
咄嗟に腕を交差させて防御体制をとっていたが、春蘭が大剣で受け止めてくれなければ、少女の攻撃で大怪我を負っていただろう。
「国の軍隊なんか信用できるもんか!ボク達を守ってくれもしないのに、税金ばっかり持っていって!」
その言葉が全てなのだろう。
あれだけの人数に、たった一人で立ち向かう理由。
「ボクが村で一番強いから、ボクがみんなを守るんだ!盗人からも、お前たち……役人からも!」
少女は叫びながら、攻撃を繰り返す。
「くっ…!なかなか、やる…っ!」
春蘭が押されている。
少女のいう事も理解できる。
「仕方がないか……っ!」
鉄球が伸びきった時を見計らい、は少女の前に飛び出した。
「!?」
「なっ!?」
華琳の声と、女の子の驚く声が重なる。
「武器を下ろしてくれないか?頼む。この通り」
は呆気にとられている女の子に、最敬礼をしてみせる。
「は…はいっ」
役人が頭を下げた。
その事に驚いたらしい、彼女は鉄球を下ろした。
「えっと、まず自己紹介から。俺達は山向こうの陳留の街から来たんだ。俺は。で、そこの人が刺史の曹操さん。良ければ、名前を教えてもらえないかな?」
地面にめり込んだ鉄球は気にしない事にして、は彼女と目線を合わせて話し出した。
「ボクは許緒って……ん?山向こうの……?あ……ご、ごめんなさい!」
どうやら気付いたらしい。彼女は勢いよく頭を下げた。どうやら、彼女達の街でも華琳の評判は良いらしい。
華琳が改めて許緒に頭を下げたことに、は帽子で表情を隠していたが、口元が緩むのを止められない。
許緒が華琳と行動を共にするのも、当然だったのかもしれない。
許緒は春蘭にも謝っていた。
「素直な子だな」
「そうね。どうして、間に入ったりしたの?」
そんな様子を微笑ましく思っていたに、華琳は問いかける。まさか、あの場で彼が飛び込むとは思っていなかったのだ。
「強いて言えば、華琳が誤解されたままというのが気に入らなかった。あの子も悪い子じゃないし」
怒られた子供のように苦笑する彼に、華琳は諦めたようにため息を吐いた。
「もし怪我をしていたら、どうするの。少しは考えなさい」
としては、ひたすら恐縮するしかない。
彼には魔法がある。怪我も治せるし、あの鉄球が服の下に展開した、ATフィールドを貫くことは出来ない。
だが、それは誰も知らない事なのだ。
「……すまない。一応、考えて飛び込んだんだが」
「反省は次に活かしなさい。いいわね?」
「了解。とりあえず、春蘭にお礼を言ってくる」
軽く手を挙げて春蘭の方へ歩き出す彼の背中に、華琳はもう一度ため息を吐いた。
「……では総員、行軍を再会するわ!騎乗!」
華琳の声を合図に、再度行軍が始まった。
盗賊団の砦は、山陰に隠れるようにひっそりと建てられていた。
「許緒、この辺りに他に盗賊団はいるの?」
「いえ。この辺りにはあいつらしかいませんから、曹操様が探している盗賊団っていうのも、あいつらだと思います」
「敵の数は把握できている?」
「はい。およそ三千との報告がありました」
「我々の隊が千と少しだから、三倍ほどか……。思ったより、大人数だな」
秋蘭の報告と春蘭の言葉に、は部隊を振り返り、脳内で三倍にしてみた。……想像だけで、むさ苦しい。
「もっとも連中は、集まっているだけの烏合の衆。統率もなく、訓練もされておりませんゆえ、我々の敵ではありません」
「けれど、策はあるのでしょう?食糧の件、忘れてはいないわよ」
「無論です。兵を損なわず、より戦闘時間を短縮させるための策、既に私の胸のうちに」
「説明なさい」
「まず曹操様は少数の兵を率い、砦の正面に展開してください。その間に夏候惇・夏候淵の両名は、残りの兵を率いて後方の崖に待機……」
桂花が話し出したのは、典型的な「釣り野伏せ」だった。
上手くいけば、最小の犠牲で最大限の効果をあげる事が出来るだろう。
華琳を囮にするというのが、春蘭は気に入らないようだが、華琳に諭されて秋蘭と持ち場へ向かった。
「!華琳様に何かあったらただではおかんぞ!私の弟子ならば、盾になってでもお守りするのだ!」
などと、しっかりと釘を刺して。
実に胃が痛い話である。
「あれ?兄ちゃん、どうしたの?」
「ん?ああ、許緒ちゃんか」
帰ったら三国無双は封印してやると心に改めて誓いながら、は目の前にやってきた子に笑いかけた。
「季衣でいいよ。春蘭様と秋蘭様も、真名で呼んで良いって言ってくれたし」
「そうか、わかった。これからよろしくな。季衣はこっちで華琳の護衛を任されたんだものな」
華琳を心配した春蘭の嘆願を、桂花が了承した結果だった。
「うん。たいやく、なんだって」
「そうだな。華琳を守る仕事だからな。俺はあまり役に立てそうにないが」
苦笑するを見上げて、季衣は何かを思いついたように、表情を明るくした。
「えへへ。ボクが兄ちゃんも曹操様も、みーんな守ってあげるよ」
「季衣が?」
「うん!大陸の王ってよく分からないけど、曹操様がボク達の街も、陳留みたいな街にしてくれるってことなんだったら、それってきっと良いことなんだよね?」
「ああ、そうだな。俺も微力ながら全力を尽くそう。一緒に頑張ろうな」
は自然と季衣の頭を撫でていた。
「へへ。兄ちゃんの手、なんかおっきいね」
撫でられて嬉しそうに笑う季衣は、三国志の英雄なのだ。
はやってくる桂花を見て、もう一度心の中でパラレルパラレルと唱えておいた。
そして、盗賊退治とはといえば。
「さすが、王佐の才と言うべきかな」
本陣を囮にした釣り野伏せに、敵はものの見事にはまったのだ。圧倒的なまでの殲滅戦だった。
華琳の側にいた青年が、戦うような事には全くならなかった。それでもは、戦場に満ちる血と埃と何かの臭いに、胃がひっくり返りそうだ。
「よく逃げ出さなかったわね」
一段落ついて、華琳はに声をかけた。
「今でも逃げ出したいし、吐きそうなのを我慢している」
帽子を被り直し、は息を吐いた。それだけで吐きそうになるのを、必死で耐える。
「戦の働きは最初から期待してないわよ。初陣でその気持ちを御することが出来ただけで、大したものよ」
「……これが君たちの世界なんだな」
「ふふ。それでこそ無理矢理にでも、連れてきた甲斐があるわ」
華琳はの言葉に楽しそうに笑った。
「……女の子の前で弱音を吐けない、哀しい男の性だな。華琳の前じゃなかったら、泣き叫んでいるかもしれないぞ」
「あら?じゃあ、この後攻城戦に参加して、いいところを見せてくれる?」
「ぶっ倒れて、今後1月おやつ抜きでもいいか?第一、そろそろ気が抜けて倒れる」
「それは困るわ。桂花、が倒れてしまう前に、城を攻め落とす算段は立ちそう?」
「はっ。問題ございません。春蘭と秋蘭が戻り次第、すぐにでも。……まったく、情けないわね。しっかりしなさいよ。前線で戦ってる訳でもないのに」
「初陣なんで大目に見てくれ。あー、倒れる前に、これ、渡しとく」
桂花に答えながら、華琳に布袋を差し出した。
「何?」
「疲れた時の栄養補給用に作ってみた。塩キャラメルという。くっつきやすいので、紙で包んである」
華琳は早速紙包みを開けている。
「もう少しコスト……かかる金額を減らさないとな。普通の飴にしておくべきかもしれない」
「……これを栄養補給用にですって?」
桂花も食べたが、彼女は眉を顰めた。
「ああ、疲れた時は糖分。そして、汗をかいた時は塩分と水分だからな。両方入れてみた。後は適度な水分補給が必要だが……不味かったか?」
「味はいいわ。甘い塩味というのも不思議だけど」
華琳の方は満足そうに頷いている。
「俺の国では、甘じょっぱいというんだ。味ではないとすれば、何が問題だ?」
桂花に向かって、は小さく首を傾げる。
「何がって、こんな高いもの、全軍に配れる訳ないでしょう!」
「高い……。そうか。これ一袋ににかかっているの、実はこれくらいだぞ」
「……は?」
彼が示した金額は、その辺で売っている饅頭並のものだった。
「これは、屋の主よ?材料の仕入れは、お手のものでしょう」
「これ、とは扱いが酷いな。一括大量に仕入れて、マケてもらってるからの値段と思って下さい」
「……あの、甘味処の……」
桂花は驚きの表情で、青年を見上げている。
「今後ともご贔屓に。じゃ、俺はちょっと意識を飛ばすので、後はよろしく」
「あ、こら……作り方……」
華琳の声はあっと言う間に遠くなった。
「ん……」
気付けば、太陽はとっぷりと暮れて夜になっていた。器用に寝ていた馬の背から、青年は身体を起こす。
「あ、兄ちゃん。目、覚めた?」
「あ?ああ?季衣か?」
手の甲で、ぐしぐしと瞼を擦って、周囲を見回す。
「うん。大丈夫?そろそろ夜営の用意するって」
「そうか。んー。わかった」
軽く頭を振って意識を揺り起こした。
「起きたか?」
「ああ、すまない、秋蘭。だいぶ楽になった。ありがとう」
馬を引いてくれていた秋蘭に、微笑みながら礼を述べる。
「いや、構わない」
「現状を軽く説明してくれるか?」
「ああ、わかった。が倒れた後、城攻めも呆気なく終わってな。とりあえず、領内へ戻って夜営をしようと、ここまで移動してきた」
「なるほど。……役に立てず、申し訳ない」
秋蘭の説明に、はもう一度頭を下げた。
「夕食後を期待しよう。塩きゃらめるだったか?非常に美味しかった」
「了解。簡単なものになるが、お持ちしよう。楽しみに待っていてくれ」
秋蘭の言葉に、は小さく吹き出した後、彼女の頼みを了承した。
その次の日から本格的に帰途につき、昼には街へたどり着く、その日の朝。ついにその時がやってきた。
「食料が尽きた?」
「ああ。あるのは飲料水くらいだ」
困ったように眉を寄せる秋蘭も美人だなーと全く関係ないことを考えたは、ひとつため息を吐いて、集まっている兵士たちに告げた。
「俺が出発前に開封厳禁と言って配った包みだが、あれには俺特製携帯食料の試作品が入っている。開封を許可するので、食べた後に隊ごとに感想をまとめて俺まで持ってくること。指示される前に開けて食った奴は、命令違反だ。城まで空腹を我慢しろ。以上」
特製の携帯食と聞いて全員の眼の色が変わる。彼の料理の噂は誰もが知るところとなっていた。
「……。まさか、この事態を予測して?」
「それこそ、まさか、だな。俺は千里眼じゃない」
解散していく兵士たちを見つめながら、は肩を竦めた。
「言っただろう?予備は用意しておくべきだと。首脳部用の奴は俺がまとめて持っているからな。春蘭が暴れだす前に戻るとしようか」
「お。間に合ったか」
楽しげに笑っている華琳と、神妙にしている桂花。
その隣で待機している春蘭と季衣に軽く手を振った。
「ははは。見事に食糧は空だったぞ。飲み水はもらってきた」
「その割に兵士達の歓声が聞こえたのだけれど」
「俺の飯の旨さが広まっているということかな」
華琳の言葉に答えながら、はバックを漁り始める。
「何が出てくるのかしら?」
「ほい。今日の朝ご飯。これしかないから、味わって食べてくれ」
は1人1つずつ渡してゆく。
「この間の完成品?」
「一歩手前というところかな。運良く大量の意見が集まりそうなんで、それをまとめて更に改良点を洗い出す予定」
「それで兵士達が歓声をあげたのね」
「そ。城に戻るまでの食糧は確保されたってわけ。賭けは桂花の勝ちだな。季衣には物足りないかもしれないが」
「これで恩を売ったつもり!?」
いきなりな言葉には、カロリーメイト擬きをくわえたまま桂花を見つめる。
「何、言ってるんだ?なんで、恩を売らねばならん」
ひとしきり話を聞いたは、軽く肩をすくめた。
「はぁ?じゃあ何の為よ」
「決まってる。関係ない人たちの為だ。特に、俺。君らに付き合って、空腹を我慢するのは嫌だったんでな。君ら二人にも渡しているのは、食い物の恨みは恐ろしいからにすぎん。食いたくなければ、季衣にあげてくれ」
はビーフジャーキーをかじりながら、隣で同じく肉をかじっている少女を指さす。
「君たちが首を賭けるのは、それは自由さ。勝手にしてくれ。だがな、兵士がそれに付き合う必要なんて欠片もない。違うか。だから、試作品を配らせてもらったんだ。非常食として持ち運び可能な大きさで、行軍の邪魔にならない」
「あんた、何様のつもりなの!?」
「俺様…とでも言えば満足か?」
「なっ!」
怒って罵詈雑言を放つ桂花は放っておいて、華琳をじっと見つめる。
「俺は何か間違ったことしたか」
「……いいえ」
華琳の言葉に桂花も口を噤む。
「兵を餓えさせるような、最低な指揮官になるところを、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。俺としては千人分の感想が聞ければ満足だ。華琳の感想は?」
その話はこれで終わりとばかりに切り替えるに、華琳はふっと口元に笑みを浮かべて、辛辣な言葉を口にした。
「まだまだね。もう少ししっとりと出来ないの?」
「元はショートブレッドだから、出来れば、優雅にミルクティを飲みながら食べたいところだな。ジャーキーの方は?」
「干し肉は良かったわ」
「酒のつまみに最高だぞ。ん、居酒屋。ありかもしれん」
「店を開くつもり?」
指を折りながらメニューを考えている青年を華琳は見上げた。
「……さあ」
「秘密で店を作ったら取り潰すわよ」
「なっ!入り浸るとわかっていて教える奴があるかっ!」
「仕方ないでしょう、貴方の料理はわざわざ時間を作って食べたいと、この私が思うほどなのよ!?」
秘密で作ろうとしていたらしい青年に、華琳は食ってかかる。
「試作品は毎回、世界初で体験させてるだろう!」
「完成品を寄越しなさい!だいたい、貴方の料理は見た目が悪いのよ!」
「客に出す完成品の時は気を使うぞ。皿にまで心遣いを忘れないのが、日本人の心意気だ!」
「主君に気を使いなさい!」
「勝手に人の部屋漁って新作食う奴に、気なんか使えるか!この間のロールケーキの件、忘れたとは言わせんぞ!」
「貴方が素直に出さないからでしょう!」
喧々諤々と言い合う二人を桂花と季衣は呆然と見つめている。その隣で春蘭は混ぜて欲しそうに、秋蘭は微笑を浮かべて、その様子を眺めていた。
「くそっ!こうなったら俺の切り札で、ぎゃふんと言わせてやる」
「受けて立つわ。何をしているの、早く城へ戻るわよ!」
急に華琳が振り返って、命令を下した。
「は、はい!」
「季衣、桂花、苦手な食べ物があるなら、今のうちに申告しておけよ」
珍しくやる気にあふれる青年の言葉に、季衣は笑顔で彼を見上げる。
「僕は特にないよ」
「よし、季衣はいい子だな」
「えへへ……」
青年に頭を撫でられ、彼女は嬉しそうに笑う。
「なっ!あんたが作るの!?」
一方、桂花はあからさまに嫌そうな顔をする。
何て言うか、既に桂花だからと青年は諦めていたりする。
「華琳のお墨付きだが?」
「不味かったら、首をはねてもいいわよ」
「勝手に人の首を賭けるな」
こちらも華琳らしい言葉に、は小さくため息を吐く。
「あら、貴方の腕を信頼しているのだけれど?」
「そんな捻れた信頼は、心の底から遠慮したい。春蘭と秋蘭は食べたい物のリクエスト…要望はあるか?」
「いや、の料理は旨いからな。なんでもよい」
「私も姉者と同じ意見だ」
「そうか、わかった」
その日、城で行われた宴で覇王様がぎゃふんと言ったか否かは参加者のみぞ知る――――
長っ!
今回、キリのいいところまでと書いていたら、ものすごく長くなってしまいました。
これでも色々削ったんですけど。
桂花と季衣登場ということで、主人公君的には事務仕事が少し楽になってラッキー。
はてさて、次は三人組の登場なるか。それとも先に拠点フェイズか。
まったりお待ちくださいませー。
コメント by くろすけ。 — 2010/08/18 @ 00:18
更新おつかれさまでーっす!
いやぁ、桂花に対する主人公は大人な対応してますねぇ、馬耳東風とはこのことか!?桂花の罵倒なんか全く気にしてないみたいっすね?まぁ、さほど近づきたくはないと思ってるみたいですがww
季衣には一刀君と同じく良き兄貴分みたいな感じですかね?
さて、三羽烏が出てくるとなると本編的には曹操軍と義勇軍が結構黄巾軍に押されるんですが我らが真田君はどういった対応をするんでしょうねぇ?多少力を使うのか?だれかに力をばらすのか(凪なら黙っててくれそう)?これからも楽しみにしてまーっす!
コメント by ヨッシー喜三郎 — 2010/08/19 @ 23:15
ココの華琳と主人公の掛け合いはさいこうですねぇ~!!まさに「ツー、カーの仲」。
そして、それを生み出すくろすけさんにも脱帽…
しかし、華琳さんも諒の部屋に入り浸る度合いが増えつつあるんですねぇ~
しまいには、執務机を持ってきそう…
コメント by 蒼空 — 2010/08/20 @ 04:49
>ヨッシー喜三郎様
コメントありがとうございます。
桂花に対する主人公は、大人というより面倒の一言の方があってますね(笑)
軍や政治に関する情報を正しく教えてくれれば、多少の罵詈雑言は馬の耳に念仏です。
季衣に対しては保護者兼春蘭の教育の補正役(笑)
はてさて、今後どうなることやら。またの更新をお楽しみにー。…してもらえると嬉しいです。
>蒼空様
最後の掛け合いが最初に浮かびましたから……。
覇王様は1日1回主人公の部屋でティータイムを最近の日課にされてます(笑)
仕事は入りきらないので、もっぱら主人公が呼び出されている様子です。
コメント by くろすけ。 — 2010/08/20 @ 21:41