例えば、逃げるという選択肢

「さーて、最後は志摩子との話だよねー」
は、聖の言葉と表情に思わず回れ右をしたい気分に駆られた。
「志摩子さんとは、お父さんが縁で知り合いました、以上。…という訳にはいかないんですよね」
「認められません」
ため息雑じりのの言葉に、蓉子が即答していた。
「それに何で志摩子だけ『再会』だったのか気になるわ」
江利子も目を輝かせている以上、逃げるという選択肢はないのだ。
どうやって話したものかと考えている青年を見ながら、志摩子は初めて会った時の事を思い出していた。

彼女がまだこの学園に入ったばかりの頃。
駅前で三人の男の人達に囲まれて困っていた所へ、その青年はやってきた。
「お待たせしました。お父さんに頼まれたものをやっと見つけましたよ」
初めて会うのに、以前からの知り合いのように声を掛けてきた青年に、志摩子は目を奪われる。
三人から彼女を守るように身体を割り込ませた彼は、彼女を安心させるように優しく微笑んでくれた。
「なんだ?てめえは」
「彼女に何か御用で?」
振り返った彼の表情は見ることが出来なかったが、雰囲気が一変したことは、背中越しにもわかるくらいだった。
「彼女はこれから私と用事があるんです。申し訳ないが、お引取り願えますか?」
口調こそ丁寧だったが、有無を言わせぬ迫力が込められていた。
彼らがいなくなってから、彼はゆっくりと彼女を振り返り、また優しい微笑を見せてくれた。
「大丈夫でしたか?」
「はい、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げれば、彼は照れくさそうに笑った。
「いえ、ご無事で何より」
そう言って彼女の頭を撫でてくれた大きな手の暖かさを、志摩子は忘れていない。

「駅前で会った少女が、実はよく行くお寺の娘さんだとは思いませんでしたね」
今、その青年は彼女の前にいて、困ったように笑いながら話を始めた。

その日は住職が少し出掛けているということで、縁側で日向ぼっこをしながら待つ事になった。
日本に戻ってきて初めてみたお寺という場所を許可を得て探検した結果、の一番のお気に入りとなったのは、この日本独特の場所だった。
日当たりのよいそこへ座るとほぼ同時に、彼が来るのを待っていたかのようにトラ猫が現れる。
「こんにちは」
の挨拶に、にっと小さく声を掛けて猫は隣で丸くなった。
「しかし、お腹が空きました……」
彼が呟くと同時に、ぐぐーっと盛大な音が響く。
と目が合った猫は、一声鳴いた。
「あ、何です?その『駄目だ、こいつ』と言いたげな目は」
まるで彼の言葉に答えるように、猫はもう一度低めの声で鳴いた。
「仕方ないんですよ。約束の時間に遅刻すると思って、朝御飯抜きで来たんですから。…来たら本人が用事で出ていたという笑えない状況なんですけどね」
猫に真面目な顔で懇々と話していたら、背後から小さく笑い声が聞こえてくる。
振り向けば、和服の少女が楽しそうに笑いながら立っていた。
「笑われてしまいました」
お前がなと言うように、猫は一声鳴いて庭へ消えていった。
そんなトラ猫を見送って、青年は少女へ振り返る。
「制服もお似合いでしたが、和服もよくお似合いで」
そう言いながら立ち上がった青年を見て、彼女は驚いた様子だった。
「自己紹介が遅れましたね。私はといいます。あれから、変な人に絡まれたりしてませんか?」
何故か少し怯えた様子をみせる彼女に、は小さく首を傾げた。
「藤堂志摩子と申します。あの時は、ありがとうございました。あの、おかしいと思いませんか?」
「……?よくお似合いだと思います」
少女の必死の表情に、もう一度彼女を上から下まで眺めて、は改めて告げたのだが。
志摩子は小さく頭を振った。
「……ああ。制服も、よくお似合いでしたよ?」
だが、の言葉はまたもや否定されてしまう。
「……申し訳ない。脳に糖分が回ってないせいか、何がおかしいのか皆目検討もつきません」
しばらく考えていた青年は、降参とばかりに軽く両手を上げる。
それと同時に、再度ぐーっと訴えるように音が聞こえた。
「……これは失礼を」
「ふふっ」
また笑った志摩子を見て、は何か納得するように頷いた。
「…? 何か?」
「いや、制服も和服もよくお似合いでしたが、やはり笑顔が一番似合うなと思いまして」
そんな事を優しく微笑みながら言わないで欲しい。
「少し出掛けて何か食べてきます。住職が戻ってきたら、そう伝えてもらえますか?」
軽く胃の辺りを押さえて苦笑する青年に、志摩子は声を掛けた。
「あの、簡単なものでよければ、ご用意いたしますので……」
「いいんですか?」
「はい」
「それでは、お言葉に甘えて」
用事を済ませて戻ってきた住職が、青年と大事な娘の『仲良く』食事をしている光景に、慌てふためいたのは、また別の話。

「それ以来、親しくさせていただいていて……」
頬を染める志摩子を、全員がうらやましそうに見ていることなんて、青年はちっとも気付いていない。
全てを話し終えたは、少し熱めの緑茶を淹れて、ほっと息を吐いている。
「ご満足いただけましたか?」
「ええ。とても楽しかったわ」
蓉子の言葉には小さく肩をすくめる。
「どの話も私の情けない部分がふんだんに盛り込まれているので、少々恥ずかしいのですがね」
「どうして逃げ出すとかしなかったの?」
確かに、聖の言うとおりだった。
彼が嫌がれば誰も無理強いはしなかっただろうに。
「まあ、その選択肢も考えたんですが」
軽く顎に手を当てて考える姿も様になっている青年に、全員の視線が集中する。
「貴女達の望みを叶えてあげたいと、私が願っているから」
そんな視線に、は困ったように微笑んだ。
「貴女達に出会ってから、私の世界は貴女達を中心に回っているんですよ?」
彼の自覚のない一言は、いつだって効果抜群だ――――

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Posted: 2009.01.03 マリア様がみてる. / PageTOP