ほら、温かいって知ってる

昨日も会ったのに、今日も会いたくなったから。
聖は放課後、薔薇の館に顔も出さず、ふらりと彼の店へと足を向けた。

「いらっしゃいませ」
ちょっと重めのその扉を開くと、彼の声が出迎えてくれる。
「ああ、聖さん。どうぞ」
彼女の姿を認めると、微笑を更に優しくして彼女がいつも座る席に招いた。
その笑顔が向けられる人の中に、自分が含まれている事を聖は嬉しく思っている。
「珈琲でよろしいですか?」
「うん」
店内には、いつもみる常連の珈琲好きのおじいさんと、これまた常連の紅茶を嗜むおばあさんが座っていた。木の香りがしそうな店内は、ゆったりと席が置いてあるので、たぶん山百合会の面々が全員で押しかけたら、ほとんど埋まってしまうだろう。
さんって、私がいつも珈琲を飲んでるの知ってて、でも必ず聞くよね」
「たまには紅茶が飲みたくなるかもしれないでしょう?」
聖の珈琲を用意しながら、は笑って答えた。
ちなみに、この店のメニューは『珈琲』『紅茶』『+ケーキセット』しかない。
銘柄とか種類とかは、その日の気分で彼が決めるらしい。だから、店の外に置かれた黒板には、今日使っている豆や茶葉が詳しく書かれている。ケーキに使われている材料なんかも丁寧に。
「特に貴女は気紛れだから」
彼はカップを聖の前において、彼女の頭を優しく撫でた。
「これ、お手製だったんだね」
サービスとしてついてくるクッキーを指で摘んで口へ運ぶ。甘すぎないそれは、口の中でさくりと崩れた。既製品だと思っていたクッキーとケーキが実は彼の手製だと知ったのはつい最近だ。
「ええ。週に一回決まった量だけ焼いています」
それだけ言って、カウンターの中に戻っていく彼の背中をじっと見つめる。
初めて会った日から、はただ側にいてくれた。話をすれば真剣に聞いてくれて、話したくない事を無理に聞き出そうとはしない彼の側が心地よい事に気付いたのは、この店に通うようになってしばらくしてからの事だった。

店の中には、小さく音楽がかかっている。ピアノ曲なのにクラシックからポップスまで、その選曲は実に節操が無い。
保護者達の選曲なのだと彼は笑っていた。聖のお気に入りは『月光-行進曲アレンジ-』だ。
あのクラシックを行進曲にしてしまうなんてと、笑った覚えがある。
その笑顔を見た彼が、嬉しそうに自分の頭を撫でてくれた事もよく覚えている。

おじいさんを見送って、そろそろ聖に珈琲のお代わりを用意しなくてはと、彼女の方を見たは微苦笑を浮かべることになった。
「あらあら…気持ちよさそうねぇ」
老婦人は彼と聖を見比べて、優しい微笑を浮かべる。この店の中でいちばん陽があたる場所を指定席にしている彼女は、そこで気持ちよさそうに目を瞑っていた。
「学生さんもお疲れのようだし、少し寝かせて差し上げたら?」
「はい」
彼は店の奥から毛布を取ってくると、聖を起こさないようにそっとソファに横たえて毛布を掛ける。
それから彼は外の扉に掛けてあった『OPEN』の札を『CLOSE』に切り替えた。

「ごちそうさま」
しばらくして、老婦人が立ち上がった。
「いえ。ありがとうございます」
「あの子は貴方のお友達?よくいらしているわね」
代金を支払いながら、老婦人は聖の方をちらりと見つめて、へ微笑んだ。
「最近とても仲良くしてもらっているんですよ」
「そう。では、大切にしなくてはね」
「はい。……またのお越しをお待ちしております」
代金を受け取り、扉の外まで彼女を見送れば、外はもう夕闇に染まり始めていた。
「…さて、と」
室内に戻れば、まだ聖は気持ちよさそうに眠っている。
隣に座って、色素の薄い彼女の髪の毛をかき上げれば、意外と幼く見えるその顔がここが落ち着くのだと語っていた。
「全く、困った人ですね…。後、一時間ですよ?」
は時計を見て、微苦笑を浮かべる。
少しずり落ちていた毛布を改めて彼女の肩まで引き上げて、その頭を優しく撫でた。

本を読んでいたに時計の音が時間を教えてくれる。
もうそろそろだろうと、彼女の肩に手を掛けた。
「聖さん、起きてください。そろそろ晩御飯を食べに行きましょう」
「ん……」
それでも起きない彼女に、は小さくため息をつく。
「起きないと、置いていきますよ?」
きっと出来ないだろうけれど。
それがわかっているのか、聖もぐずるだけで起きようとはしない。
「しかたありません。蓉子さんの電話番号は…」
「ちょっ!?」
取り出した携帯電話を掴んだのは、寝ているはずの聖で、は笑いを耐えることが出来なかった。
「冗談ですよ。さ、起きてください。ご飯を食べたら、家まで送っていきますから」
「もしかして……お店閉めちゃった?」
「貴女の寝顔を独り占めする時間も悪くはなかったですよ。学園の貴女のファンに知られたら怖いですね」
バツの悪そうな聖の言葉に、はそう笑って彼女に手を差し出した。

「今日は何が食べたいですか?」
店の鍵を閉めて、のんびりと二人並んで歩き出す。
さん家でラーメン」
「駅前に美味しい中華料理屋さんが出来たと聞きましたから、そこにしましょうか」
「むー」
彼は決して彼女を自宅にあげようとはしない。
「お友達を連れてくるならいいですよ?電話しましょうか?」
「いい」
携帯電話を取り出す彼に、聖は速攻で答えを返す。
「妙齢の女性をむさ苦しい男の家に一人で上げる訳にはいかないでしょう」
「私は構わないって言ってるのに」
だいたい、彼がむさ苦しいなら、世の中の九割以上は非常にむさ苦しくなるではないか。
聖は想像して、眉間に皺を寄せた。
「私が構うんです」
の言葉は、妙に『私が』を強調されていた。

さん?」
「あら、本当。聖も一緒なのね」
駅前を歩いていると、背後から聞きなれた声が聞こえてきた。
「げ」
「……聖さん……友達に向かってそれはないんじゃないでしょうか」
「だって」
絶対邪魔するに決まってる。その言葉は口にはしなかったけど。
「放課後、薔薇の館に来ないと思ったら、さんのところに行ってたのね」
「そうだけど?」
笑って見上げてくる蓉子に、少し不機嫌そうに応えるくらい大目に見て欲しい。
「今、お帰りですか?随分と遅かったんですね」
が不思議そうに尋ねると、蓉子は苦笑しながら、江利子はニヤリと笑って、彼の隣に立つ聖を見つめた。
「今日は意外と書類が多くて」
それだけで大体の理由は悟れるというもの。
決済能力を持つ生徒会長の一人が、自分の店で昼寝をしていたのだ。
「それは…原因の半分以上が私にありますね。いかがです?この後、ご一緒に夕食でも」
この言葉で全員が夕食を共にすることは決定となってしまった。

少し前を歩く蓉子と江利子は、の携帯を借りて自宅へ連絡を入れている。結局、三人で夕食となった事で聖の機嫌はマイナス方面に一直線だ。そんな彼女に、は困ったように頭をかいた。
「一度、あのお二人とお話がしたかったんですよ」
「何で」
「『あの頃』の貴女を知っているから」
驚いた様子で見上げてくる聖に、は優しく微笑んだ。
「だから、ゆっくりと話をしたかったんですよ。是非、ね」
なだめる様に軽く背中を叩く彼を見上げて、やっぱり彼はずるいと聖は思う。そんな風に言われたら、駄目だなんて言えなくなるではないか。でも、素直にそれを認めるのも嫌で、彼女はの腕にしがみついた。
「じゃ、さん家でラーメンね」
そのまま、彼の顔を見ずに言ってやった。
「……何故、そこに立ち戻るんです?」
「だって、三人いるし?友達が一緒ならいいんだよね」
聖は前を歩く二人を指差して笑った。
「さっきまで呼ぶのを嫌がっていたのに」
「さっきはさっき。で?」
彼は苦笑して、蓉子と江利子に声を掛けた。
ああ、だから、彼の側は心地がいい―――

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Posted: 2009.01.03 マリア様がみてる. / PageTOP