、28歳。極々普通のサラリーマン。
……だったのに。
飲み屋のドアを開けたら、別世界ってそれはどうよ。振り返っても飲み屋の影も形もない。持っているものは、通勤用の鞄に財布、自宅の鍵に、手製のシルバーリング。
「っていうか、どこだよ、ここ……」
ビルの裏路地のような場所で、は途方にくれた。
たっぷり30分は呆然としていたの耳に話し声が聞こえてきた。
「……ちょっとっ!」
聞き取れる単語が日本語でよかったと胸を撫で下ろして、そちらへ近付いた彼の目に飛び込んできたのは一人の女の子と野郎が三人。
「……となれば、味方するのは決まってるよな」
ため息一つ吐いて、彼はそこへ足を向けた。
「はいはい。嫌がる女の子を、無理やりどうこうしようとするのはよくないぞ」
取り囲んでいる男の子達に声を掛ける発言が、親父くさくなっているのはご愛嬌だ。
「うっさいよ、おっさん」
「……お嬢さん、悪いんだけど」
は優しく微笑んで、右の中指から指輪を外し、鞄を女の子に差し出した。
「少しの間、持っててもらってもいいかな?」
「えっ!?」
女の子が目を丸くして指輪に気を取られている間に、は振り返り手近にいた相手に一撃を喰らわせる。
「おっさんにおっさんて言う事の恐ろしさを教えてやるよ、糞餓鬼ども」
は真っ黒な笑顔を浮かべて、地面で呻いている若者を踏みつけた。
訳のわからない状況の八つ当たりも勿論含めておく。
ものの数分で、片はついては悪態を吐いて逃げていく若者たちに軽く手を振った。
「次はもう少し独創的な捨て台詞を考えろよなー」
後ろを振り返れば、未だ彼女は手の上の指輪を穴が開くほど見つめている。
「どうした、お嬢さん?その指輪は気になってもあげられないぞ?」
忘れられている鞄を受け取りながら、笑って言うと彼女は勢いよく彼を見上げてきた。
少し大きめのサングラスで顔を隠した彼女は、指輪を握りこんだまま彼に尋ねる。
「これ、どこで手に入れたの?」
「俺のお手製。世界に一つだけしかないんだから、返してくれないか?」
「貴方、名前は?」
差し出した手は無視されてしまった。
「。で、お嬢さんは?」
彼女はサングラスを外して、改めて彼を見つめる。
「これはまた可愛いお嬢さんだな。それで、お名前は?」
「……シェリル。シェリル・ノームよ」
「そうか。それで、ここはどこか教えてもらってもいいか?」
「迷子?」
何故、そこで目を輝すのかは置いておいて。
「ああ、そのようだ。……夢や冗談だったらいいんだが」
「駄目っ!」
彼が何気なく呟いた言葉に、彼女が怒り出した。
「はここに居るんだからっ」
「あ、ああ。その、それでここは?」
彼女の言った地名を理解できなかった。
「あー、そのな、ここって日本じゃないのか?」
「ニホン?地球にあった島国?」
首を傾げるシェリルに、は足元が崩れるような気がした。
「……根本的な質問していいか?」
「どうぞ?」
「地球じゃなかったりするのか?」
「だから言ったでしょ?ここは、2059年のマクロスフロンティア」
気を失わなかった自分を誉めてやりたいだった。
「せめて徒歩で帰れる場所にしてもらいたかった……マクロス……愛、覚えてたりする訳かよ……」
結局、指輪を質に取られたままのは、シェリルが滞在しているというホテルへと連れてこられた。
というか、反対する気力すらなくなっていた彼を、シェリルが引っ張って帰り着いたというのが正しいだろう。
タクシーの窓の外に流れる景色に、は現実を受け入れるしかなかった。
ホテルに着く頃には少し立ち直っていたが、これからどうするかという事で頭がいっぱいだった。
「問題は仕事だよなぁ」
通されたロイヤルスイートに一瞬だけ怯んだ後、直ぐに持ち直して、はソファに沈み込んだ。
「迷子はそんな事考えなくていいの。もうすぐ私のマネージャーが来るから、これからの事を相談しましょ」
その隣に座って、シェリルは彼を見つめる。
「俺が1980年生まれだって言ったら、即刻精神病院に入れられそうだ」
「って、そんなおじいさんなの?」
美人にマジマジと見つめられると、相手が年下とはいえ居心地が悪い。
「まだギリギリとはいえ20代だ」
「ふーん。幾つ?」
「28」
「28か……11違うのね……」
の答えに、彼女は何やらブツブツと呟き始めた。
その日、急に呼ばれたグレイスは、その青年と対面した。
「初めまして、拾われましたです」
拾われたにしては態度が大きい彼は、軽く右手を上げて挨拶してきた。
まだ若いのにとても疲れている様子で、グレイスは首を軽く傾げる。
軽くスキャンしてみても何も不審な点は見当たらない。とりあえずの警戒は解除して、彼の正面に座った。
「初めまして、この子のマネージャーのグレイスです」
「この人、迷子なの。だから、私が面倒を見ることにしたから」
挨拶が終わった途端、はお茶を吹き出すかと思った。
「……シェリルさん?」
「だって、行くところもお金も情報もないんでしょ?」
「う」
確かに。
仕事を探すのも一苦労しそうだ。まず、ここがどこかも理解できない。
50年は遅れている自分の知識の補完も必要だろう。携帯端末の使い方すらわからないのだから。
「……」
チラリとグレイスに視線を移せば仕方ありませんねといわんばかりの表情だ。
「……ヨロシクオネガイイタシマス」
「そう。それでいいの。グレイス、彼のIDカードとか用意できるかしら」
ソファの上で正座して頭を下げるに、シェリルは嬉しそうに微笑んだ。
「はいはい。わかりました。明日の夕方には揃えて渡せるようにしておくわね」
そう言って立ち上がった彼女に、も立ち上がって頭を下げた。
「サナダさん?」
「お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします」
「……ええ。では、また明日」
微笑んで立ち去ってくれたグレイスに、は盛大なため息を吐いた。
「……グレイスにだけ丁寧にお礼を言うのね」
振り返れば機嫌が急降下したらしいシェリルがソファのクッションを握り締めている。
その姿が可愛いなと思って、は微笑んだのだが、それがまた彼女の機嫌を下落させたようだ。
「シェリル」
「……なに」
ソファに座る彼女の前のテーブルに行儀が悪いと知っていて座る。
「いいのか?こんな見ず知らずの人間を懐に入れて」
「は悪い人じゃないもの。それに、私を助けてくれた人にお礼をするのは当然よ。これ、返しておくわね」
そう言って彼女が差し出したのは質に取られていた指輪。
「……そうか。ありがとう、シェリル」
それをはめては真っ直ぐに彼女を見て、優しく彼女の頭を撫でる。
「……こ、子ども扱いしないで」
そう言いながら、彼女が喜んでいるのは明白で、は何となく子猫に懐かれた気分になった。
「さ、今日はもう遅いわ。軽くシャワーを浴びて寝ましょ」
「了解」
「あ、着替えはさっきホテルの人に持ってきてもらっておいたから。そこが浴室で、あっちが寝室よ」
「シェリルの寝室は?」
「何?夜這いでもする気?」
悪戯っぽく見上げてくる彼女の額に軽くデコピンをかましておく。
「っ~痛い~」
「そういう台詞は18になって言ってくれ。喜び勇んで据え膳を頂くことにするから」
「むー、また子ども扱い…」
彼女のストロベリーブロンドの髪をくしゃりと撫でて、は笑った。
「いいんだよ、いつか嫌でも大人にならないといけない時がくる。それまでは子供の特権をフル活用しておけ」
シェリルはそんな彼を見上げて嬉しそうに笑って、ぎゅっと抱きつく。
「こらこら、早くお風呂に入ってこい。明日は何時に起きるんだ?」
「明日は朝早い仕事はないから、8時くらい?」
「わかった」
その夜、シェリルはが眠っているベッドへこっそりと近寄った。
「?起きてる?」
「う……」
持ってきてもらった寝巻きを律儀に着て寝ていたは、寝ぼけた声を上げて寝返りを打つ。
ちょうど仰向けの大の字になった彼の横に、シェリルはそろりと潜り込む。
すると、何だか手馴れた様子で、腕枕をされて、肩までシーツを掛けられる。
「ちょっ……」
声を上げようとするシェリルを遮るように、彼の手が優しくシェリルの背中を叩いた。
「明日も学校だろう?早く寝なさい」
「……」
耳元であやす様に言われた言葉が出なかった。彼は誰かと彼女を間違っている。それも会話からして『彼女』ではなさそうだ。
明日、起きたら聞いてみようと、シェリルは彼の腕の中で目を閉じた。
次の朝、ベッドにもぐりこんでいたシェリルに、慌てふためいたがベッドから転げ落ちたのは、また別の話。
現在の連載前に書いてた奴を発掘しました。
これはこれで結構好きな話なんです。…っていうか、シェリルが可愛ければ(笑)
この頃からアクセサリーメーカーというのは、変わってません。
コメント by くろすけ。 — 2011/01/29 @ 00:39
あや?前に拍手で載せてたやつこっちに上げたんですね?どの話も好きだったんでうれしいっすww
コメント by ヨッシー喜三郎 — 2011/01/29 @ 01:03
ここはしばらくすると名前が変換できるようになったWebClalpSSがアップされる場所なのですよ。
没原稿のたまり場という奴ですね。本当はあんまり無い方がいいんでしょうけど。
気に入ってもらえたなら、嬉しいです。
コメント by くろすけ。 — 2011/01/29 @ 01:39
コレが没ネタ…??
小生の中ではコレは本戦出場選手です!
てか、寝ぼけていたとはいえ妖精が来た時点で覚醒しろよと思うのは小生だけでしょうか?
コメント by 蒼空 — 2011/01/30 @ 18:27
>蒼空様
没ねたなんですねー。残念ながら。
従妹さんを預かっていて、時々寝かしつけているという裏設定があったりするんで、そのあたりは大目に見てくださいな。
コメント by くろすけ。 — 2011/02/01 @ 00:44