ARIAカンパニーの軒下で軽やかな音を奏でるガラス細工を、優しい瞳で眺めていた。
すると、午前中の合同練習を終えた三人が戻ってくるのが見えて、は日陰から出て彼女たちを出迎えた。
「暑い中、ご苦労様。特製レモンシャーベットを用意してありますよ」
「お、今日は元気そうだな」
不敵に笑う晃に、は微笑み返して、ゴンドラを降りようとする彼女に手を差し出す。
「音色だけで気分が変わるのだと、初めて知りました」
アリシアとアテナも同じように彼の手をとって、ゴンドラを降り、係留しているロープを確認する。
「でも、くんが元気でよかった」
「ん?」
安堵するアテナの言葉に首を傾げる。
「にお願いがあるの」
お願いするようなアリシアの言葉に彼は困惑の表情を浮かべる。
「グランマにも了承を得たから、大丈夫だぞ」
笑顔で告げる晃の言葉に、彼はこの場から逃げ出したいような予感を覚えた。
「どうして、グランマがいるのに、私が……」
操船技術のお手本。
それが彼女たちの頼みであり、グランマにまでお願いねと言われては、彼に断る術はなかった。
「嫌なのか?」
快諾してくれるとは思ってなかったが、ここまでへこまれると彼女たちも不安になってくる。
「きっと、上手くは教えられないと思います。それでも、私でいいんですね?」
けれど、はそんな不安をかき消す様に、笑ってくれた。
「ええ」
「ああ」
「うん」
三者三様の返事を聞いて、最後に彼はグランマを見つめた。
「三人をお願いね」
「はい」
こうして、午後は三人と一緒に出掛ける事になった。
舳先に吊るした風鈴の音色を楽しみながら、彼は軽やかに舟を操り、潮の流れが複雑だという岬までやってきた。
「いつ見ても綺麗ね」
アリシアの言葉に、アテナと晃も頷く。
2人ともアリシアと同じく、青年の櫂捌きを見つめている。
「ああ、とても綺麗な場所ですね」
言われた本人だけが視線の先に気付いていなくて、周りの風景を楽しんでいた。
「さてと」
適当な場所にゴンドラを泊めて、青年は三人に視線を向ける。
「一緒に漕いでみます?」
は一人ひとりに丁寧に教えてくれた。
三人は彼の言葉や動きを見逃さないように真剣に聞き入った。
太陽がかなり傾く時間になってによる講習は終了した。
「少しは役に立てましたか?」
ゴンドラをアリアカンパニーへ向けながら、彼は前に座る三人に問いかける。
「ええ、とても」
「それはよかった。少しは恩返しできましたかね?」
アリシアの答えに、は嬉しそうに笑った。
「恩ってなんだ?」
「グランマと何かあったとか?」
晃の言葉に、アテナが首をかしげた。
「勿論、グランマには返さなくてはいけない恩がいっぱいありますけど。貴女たちにもまだ返していない恩がいっぱいあるんですよ」
「何かしたかしら?」
考えるアリシアに、は微笑んだ。
「ええ。一緒にご飯を食べてくれたり、話をしてくれたり……。貴女達には何でもないことかもしれませんが、私にとってはかけがえのない時間をいっぱいいただきました」
「それは『恩』なのか?」
「私にとっては。結局、恩とか恨みとかは受け取った人次第ですからね。ここへ来てから、もらった時間は、何物にも変えがたい大切な宝物なんです」
晃に応えた青年は、空と海の間に沈みゆく太陽を見つめていた。
「だから、少しずつ返していきたいなと思っていたんです」
「私は舟謳を聞いてみたい」
早速、リクエストとばかりに手を上げる銀髪の彼女に、青年は苦笑を浮かべる。
「アテナ……さすがに、それは覚えてないんですけど」
「ええ……?」
それでも聞きたそうなアテナに、青年は苦笑して、こう言った。
「地球の曲なら。……一曲だけですよ」
そう前置きして、舟を止めた彼が歌いだしたのは、地球の古い曲だった。
道は曲りくねっているけれど、たどる道筋にある小さな光とゴールを信じて歩き続けよう。
そんな意味の歌は、旋律となって風にのる。
この空の下で聞いているのが、自分たちだけなのが勿体無い。
三人がそう思うほどに、彼の声は朗々と水面に響き渡っていった。
「さあ、遅くならないうちに帰りましょうか」
謳い終わった彼は、そう言って舟を再び漕ぎ始める。
「なあ」
「ええ」
「うん」
聞き終えた三人は拍手をするのも忘れて、秘密の相談をするように顔を寄せ合う。
「もしかして一人前に一番近いのって……」
「なのかしら……」
「そうかも……」
そう言った彼女たちは、気持ちよさそうに舟を操るを見つめる。
高い操船技術。
優しく卒のない気配り。
そして、先ほどの謳。
どれも一人前の水先案内人に必要なもの。これで観光案内が出来れば完璧だ。
きっと彼が『彼女』だったら……
「何だか、もったいないな」
晃が零した一言に、アリシアとアテナも全くだと言わんばかりに力強く頷く。
そんな三人に見つめられている事に気付いた青年は、彼女たちに優しい微笑みを見せてくれる。
『史上初男性水先案内人』
……面白いのではないだろうか。
三人が同時にそんな事を考えたことも、後で男性が水先案内人になれないという規則を知って、三人が小さく落胆のため息をついた事も、黒髪の青年は知らない―――