魏の国力は既に大陸で突出しており、その原因が誰にあるかも大体の国で把握されている。
「まあ、それがこれだとはあまり信じてもらえないと思うわ」
華琳は服も着替えぬまま、工房の仮眠用ベッドに倒れこむように寝ている黒髪の青年の姿を発見してため息を吐いた。
「……朝?」
「もう昼よ。いい加減、起きなさい」
「おー……」
起き上がっても、まだ眠そうに目をこする青年に、華琳はやれやれと困ったように笑う。
「子供じゃないんだから、きっちりしなさい」
「何かあったのか?華琳が起こしに来るなんて珍しいな」
工房の水道で顔を洗い、さっぱりした青年は、覇王様に笑顔を向ける。
「そろそろ西涼に使者を送ろうと思っているのよ。貴方も行くかと意思確認に来たの」
「そうか。他に誰が行くんだ?」
とりあえず覇王様に飲み物を用意しながら、は朝兼昼御飯の献立を考えていく。
「春蘭よ」
「秋蘭じゃないのか?というか、春蘭に交渉が出来るのか?」
なかなかに酷い言葉であるが、何事も真実は厳しいものだ。
「仕方ないのよ。秋蘭は漢の官位を持ってないから」
「そうだっけ?」
「だから、補佐に風と貴方をつけるの。誰か他に連れて行きたい者はいる?」
「いる」
華琳に即答していた。
「まあ、本人の意見を聞いてからになるが」
「月達?」
「たまには故郷に帰りたいかもしれないからな」
「わかったわ。詳しい日程については、明日の朝議で話をするから貴方も参加しなさい」
「了解。……で、本題は?」
「昨日の夜、物凄くいい匂いがしていたのだけれど」
ここで『もうない』などと言えば、生死問わずの鬼ごっこが始まるのは確実だ。
「そろそろ出来てると思います。燻製と一夜干し」
軒下にぶら下げている網と工房の隅においてある燻製器に、チラリと視線を走らせる。
「それだけ?」
「アサリは砂抜きしてるから、汁ものとバター焼きと酒蒸しで」
米を炊いている間に、手早く朝食の用意を進めていく。
「昨日のいい匂いは、燻製とは違ったようだけど?」
「牡蠣三昧でした」
「……かき?」
「海岸とかの岩に張り付いている貝でな。ちょっと見た目はあれだが、美味い」
食中毒が怖かったので生食は避けたが、炊き込みご飯に焼き牡蠣、小鍋で味噌煮と堪能していた。
「へえ……それで、私の分は?」
「残念だ」
「そんなに絶を味わいたいなら、遠慮しないで?今すぐにでもたっぷりあげるわ」
「一人分しかなかったんだ」
そう言いながら、牡蠣の美味さを思い出して顔を綻ばせる青年に、華琳の額には青筋が浮かぶ。
「次は『必ず』私を呼びなさい」
「お、おう。了解だ」
味見だったのにと思いつつも、そんな華琳の迫力には顔を青くして頷くしか出来ない。
次回の海産物収集の旅からは、最低二人前の確保が原則になりそうだ。食べ物の恨みは実に恐ろしい。
「羊のチーズも美味いぞ。ちょっと癖があるけど、グラタンとかパスタにするとか色々楽しめる」
「期待して待っているわ」
「確認しておくが、俺達は買い物じゃなくて、一応降伏を勧めにいくんだよな?」
主目的を忘れそうな二人の会話だった。
そんな会話を交わしてから数日後、は西涼への道程の半ばにいた。
「いい天気だなー」
「ですねぇ」
幌を屋根だけにして風通しを良くした馬車の上で、風から西涼についての簡単な説明を聞き終えた青年は、外を見上げて肩の力を抜く。
「どんな人なんだろうなぁ、馬騰さんは」
「華琳様があれほど執着される人ですからねぇ」
人材収集マニアと呼び声高い覇王様が欲しがる人間だ。
としても期待が高まるばかりである。
「明日には西涼の勢力圏に入るんだよな」
今日は勢力圏最後の街に宿泊予定だ。
「街までお出迎えがあるはずなのです」
「誰が来るか聞いてる?」
「馬超さんが来ることになっています。一応、春蘭様とお兄さんとは面識があるということで」
「ああ、連合の時に顔だけは合わせてある。案内兼護衛兼見張りだよな」
「ですねー」
その辺りは当然の措置なので、二人はあんまり気にしていない。
「羊の肉はやっぱり癖があるね。香辛料でもう少し味付け変えたいな」
「ん」
塩味だけの羊の串焼きを齧るの隣では、彼の言葉に頷く恋がもくもくと肉を口に運んでいる。
勢力圏最後イコール関所イコール交易地でもある為、市場は西や東の物資が山と積まれていた。
「羊の毛織物はあったかそうだね。帰りに敷物とか買って帰るか?」
さすがに冬に畳だけだと寒すぎる。コタツという魔性の存在も温かい布団があってこそ。
ふかふかの羊の毛織物とふわふわの羽根布団、そして、みかんとお茶があれば最高の環境である。
仕事をする気が九割減になるのが、最大の問題だ。
「食べ物も羊関連のものが多いよね」
「そうね。ここから先は乾燥している土地だから、野菜や果物は交易に頼っているのよ」
「確かに乾物も多いね」
詠とそんな会話をしながら、干した果物を何種類か買いこんではオヤツにする。
「ふむふむ。ヨーグルトはないかな?」
「よーぐると、ですか?」
「説明すると難しいんだが、牛や羊の乳を一度温めて、一定の温度に保つことで、半固形にした食べ物かな。素焼きの壷とかに入れておくと、適度に水分が切れて豆腐っぽくなる」
こんな説明で二人が思いついたのは、とある乳製品だった。
「詠ちゃん、酪の事かな?」
「そうっぽいわね」
「こっちでもそういうのか。たぶん、同じものだ。で、何処に行けば手に入るかな」
かつて故郷でも酪と呼ばれていた事を知っていたは、二人の言葉に目を輝かせる。
「大抵、自分の家で作るから、市場にはないと思うわ。でも、あの木を買って帰ればいいわよ」
詠はとある店に詰まれていた木の枝の山を指差した。
「木の枝?」
「ええ。酪を作る時に使う木よ。あれを暖めた牛乳に入れるの」
「なるほど。乳酸菌が表皮についているのか。とりあえず試作用に幾らか買っておこう」
などと青年達は買い物をしているが、春蘭と風はこの街の太守に挨拶へ行っていたりする。
「やっぱり初めての場所には色々収穫があるね。いやしかし、春蘭と風には申し訳ない事をした。お土産で許してもらえるといいが」
「あんたがこれ以上仕事が増えるのは嫌だって言ったんじゃない」
「丸投げされるんじゃなければ、俺だって力を貸すけどなー」
視察に言った際、ほぼ確実に聞かれる言葉があった。色んな言われ方をしたが、突き詰めれば『富を手にするにはどうすればいいか』である。
知った事か、てめえが働け。と毎度口にしたくなるので、最近はこっそり視察に出かけたりする事が増えた。
そのため、視察先で余計な揉め事に巻き込まれたりして、結果自分で水戸黄門や暴れん坊将軍みたいな事をする羽目になるという悪循環。
「しかも、帰ると秋蘭に叱られるし。俺のせいじゃないのに」
「風が『今は余計な敵を作るのは得策ではないのですよー』と言っていたわ。大人しく買い物しておきなさい」
モグモグと干した果物を食べながら、眉間に皺を寄せる青年の耳に、呆れた詠の言葉と月の楽しそうな笑い声が届いた。
万里の長城を横目に見ながら数日。
馬超に先導された達は、涼州の首都武威に到着していた。
「謁見は明日になるので、今日は大人しくしておいてくださいねー。お兄さん」
「問題を起こすなよ、」
春蘭と風の二人に釘を刺された彼は、護衛の恋に連れられ、月と詠と共に宛がわれた部屋に向かうしかなかった。
どうやら市場を見て目を輝かせたのを見られていたらしい。
「……お兄さんは無自覚で人誑しなので、本当に困りますね」
「全くだな。いつになっても華琳様と秋蘭の心配の種は減りそうにない」
馬超は勿論、涼州軍の兵士達とも仲良くなっている光景を至るところで目撃されている。
胃袋を掴む、コレ最強。
「馬騰さんが、お兄さんの地雷を踏み抜かないことを祈っているのですよー」
風は明日の会談を思って、小さくため息を吐いた。
緩やかに波打つ明るい茶色の髪を背中に流した馬騰は、病に冒されている身をおして会談へ姿を現した。
初めて会う馬騰に、は春蘭と風の後ろで目を輝かせている。
長い挨拶は二人に任せて、青年は視線を馬騰に向けたまま、周囲の観察をしていた。
緊迫した空気の流れる中、一人まったりしていたのだが、馬騰の言葉に風の懸念が的中してしまう。
「漢の臣だから、降る訳にはいかない?」
小さく繰り返した青年の気配に、怒りが混じりだした。元々気配を隠すのは下手だ。
「何か言いたい事がおありのようだ。是非聞かせてもらえないだろうか」
穏やかな表情をしていた馬騰も、その気配を感じて後ろにいた青年に視線を向けた。
「風?」
「……もう構いませんよ。我々の手札は出せるものは出し切りました」
「わかった。なら、好き放題言わせて貰おうかな」
「お手柔らかにお願いするのですよ」
風の言葉に黒髪の青年は少し困った顔をして、馬騰に向き直る。
「実に今更な台詞だなと思いまして」
「? どういう事かな?」
「むしろ、俺が教えてもらいたい。こんな国内がぐだぐだになって、民が蜂起したり、死んだりしてるのに、『今更』漢の臣って何?」
馬騰を真っ直ぐに見つめては言葉を連ねる。
「何で今まで何もしてこなかったのに。華琳が国をまとめようとする今になって?」
もし、西涼が侵略には抵抗するという立場だったら、はきっと何も言わなかった。
この戦が侵略であると彼は理解していたし、故郷を守りたいと思うのは当然だと思っていたから。
だが、馬騰の口にした言葉は、彼を苛立たせた。
「教えてほしい。漢の臣だという貴女は、一体漢の民の為に何をしたんだ?」
「千里眼殿は知らぬらしい。我々は五胡の侵略から漢の地を守っているのだが」
心底不思議そうなの言葉に、馬騰は優しく微笑みながら、子供に教えるかのように伝える。
そんな事も知らぬのかと呆れる視線が集まる中、は言葉を返す。
「それは、別に『漢の臣』じゃなくてもやったろ?西涼の地を他民族から守るために、貴女達は武器を手にしたはずだ。俺が聞かせてもらいたいのは、そうじゃない。『漢の臣』である貴女が、『漢の民』に対して何をしたかって事だ。皇帝にこのままではいけないと進言の一つもしたのか?あの腐った宦官共を牽制したりしてくれたのか?」
「それは……」
青年が何を言いたいのか理解できてしまった馬騰は、言葉に詰まる。
「そこで言葉に詰まるって事は何もせず西涼以外の民は見捨てたって事だろ?『今更』そんな事を言わないで、正直に『お前らの下になんてつけるか』って言われた方がまだマシだ」
しっかりと言い切った青年は、腕を組んで胸を張る。
その後ろで、風がため息を吐いているような気配がするが、今は無視しておく。
「……くくくっ、全くもってその通りだな。では、次回お会いするのは戦場でよろしいかな」
馬騰は目の前の青年への評価を書き換えて、まっすぐに彼を見た。
「そっちがその気なら、手加減は必要はないよな。病だからって負けた後に、勝手に自害したりするなよ?」
はこちらにも釘を刺すのを忘れない。
「なっ!?」
「戦の負けをたった一人の命で購えるなんて、寝言以外の何物でもない。貴女が死んだら、他の者が責任を取らされるのがわからないのか?ここにいる将軍になるのか、連合の他の長かは知らないけどな。責任を取れるのは、死人じゃない。生きた人間だけだ。勝手に死んで責任を放棄するなんて、誇り高い人間のやることじゃないと思うんだが?」
「っ!」
ここまで公的な会見で言われては、馬騰としては自害の道は絶たれたも同然だ。
後は戦場で戦死を狙うという手だが、それも戦場に立つことすら体力的に不可能である。
「では、戦後、再びここでお会いできるのを楽しみにしていますよ、馬騰殿」
魏VS西涼の舌戦の初戦は、黒髪の青年の圧勝だった。
「という事で『てめーらの下になんてつけるか、実力で来い』だそうです」
「……お兄さんの意訳は強ち間違ってないですが、もう少しまともな言葉で断られましたー」
戻ってきた青年の報告に、風はフォローになってないフォローを付け加えた。
「そう。ならば仕方ないわね。遠征の準備が終わり次第、出立するわ。それまで軍部は騎兵を相手にした訓練を続けなさい。今までの戦とは全く別物になるわよ」
「全軍総騎兵だもんなー、西涼の軍隊。基本戦術は一撃離脱だから、仮想敵としては霞が最適かな」
華琳の言葉に、護衛についてくれた西涼軍の兵士の話を思い出しながら、は霞に声を掛ける。
「そうやな。軽装騎兵と弓騎兵を相手にさせるのがええやろ。秋蘭も手伝ってや」
「うむ。承知した」
こうして、出発までの間、歩兵達は騎兵相手の戦い方をきっちり仕込まれていくことになる。
「で、今日の朝議は以上?」
西涼で手に入れたもので色々始めたい青年は、そわそわと会議を終わらせて出て行きたい様子だったが、華琳はニヤリと笑って彼を制した。
「いいえ。後一つあるわ。桂花」
「はっ」
猫耳軍師は表情を消して書類を読み上げ始めた。
「新設した騎兵団を客将であるの配下とし、その旗印を黒旗とする」
「……は?」
青年にとっては、寝耳に水の事態到来である―――
やっと更新できたー!
二年に一回の会社の引越しに文句を言いつつ、地獄の師走突入前に何とか更新できました。
色々すっとばしてVS西涼直前です。
ヨーグルトを無事ゲットー!
そして、既に外堀はキッチリ埋められているので、諦めてねw
コメント by くろすけ。 — 2013/11/28 @ 16:22
くろすけ。さん、今晩は♪
おおっ!更新されてる!これであと3ヶ月は戦えるw
毎日、覗いていた甲斐があるというものです!
あれ?・・・カチカチ、何か時間の進み方が早いような・・・
なるほど、ヨーグルトを手に入れるために無意識に時間を進めたとw
やりますね、お兄さんw
あと、外堀どころか内堀まで埋まってますよね。
まあ、自業自得でしょうがw
次回は、西涼戦ですね、馬氏に騎馬戦で勝つか・・・
うん、どんどん仕事増えるなw
地顔の更新を楽しみにしております♪
コメント by Hiro — 2013/11/28 @ 20:57
すみません、誤字ですorz
地顔 → 次回
何で「地顔」になったんだろう?解せぬ。
コメント by Hiro — 2013/11/28 @ 20:59
> Hiro様
見捨てず通っていただけて嬉しいです。
コメントありがとうございます。
この後、現実を見つめた後、西涼戦ですね。ガチバトル。
戦に勝ったら、更に兵士が増えそうですw
年内にもう一度更新するべく、頑張りますー!
コメント by くろすけ。 — 2013/12/02 @ 18:40